2019年12月22日日曜日

★奥の細道紀行 第218章 野積から寺泊

曾良随行日記》『○四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。 弘智法印像為拝。峠 より右ヘ半道(はんみち)計(ばかり)行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミ(野積)ト云浜へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベ(渡部)ト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻(さるのじょうこく。午後3時半頃)、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。』
↓弥彦スカイラインを登って行くと途中で左折する案内板が出現。
↓「野積という浜に出て」という曾良随行日記の記述に合致。
「二三町(200~300m)行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミ(野積)ト云浜へ出テ」。最正寺(さいしょうじ)という地名はなかったが西正寺(さいしょうじ)という古刹はあった。西正寺から先程の峠の下り道に戻ると日本海が見え、野積の浜に出た。
↓佐渡島の西部がこんなに近く見えた。
↓野積の浜を寺泊の方へ行くと、今は信濃川の分水が流れて土地を東西に分断している。この河口に架かっている橋が野積橋。


〇野積橋を渡って直進すると、寺泊港に着く。佐渡汽船のりば。ここと佐渡を繋いでいるのは高速艇、大型フェリーは今は出ていない。

↑寺泊漁港。寺泊には旅館・ホテルが建ち並んでいる。
〇『曾良随行日記』『ノヅミ(野積)ト云浜へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有』。今も国上地区はそのまま存在する。
↓道の駅・国上
 ↓真ん中やや右上に道の駅がある。左側に川が有り日本海に注いでいるのは本物の川ではない。信濃川の分水で大河津分水(放水路)という。この分水に架かる橋で先ず河口に架かるのが野積橋、やや上流に架かるのが渡部(わたべ)橋。いずれの地名も、曾良随行日記に登場する。
↓渡部橋を右折すると渡部地区
↓渡った先にバス停「渡部入口」






↑↓橋の下を流れるのは川ではなく、分水路
↓渡部地区


曾良随行日記』『‥‥寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベ(渡部)ト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。』 
渡部地区は寺泊から行けば海辺から離れること1里。
奥の細道紀行で最もルートが見えなかった区間が、弥彦から野積・寺泊間。その区間を何とか探索して乗り切った。

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