2020年1月14日火曜日

★奥の細道紀行 第228章 上越市「五智国分寺」

『曽良随行日記』『○十一日 快晴。暑甚シ。巳ノ下尅(みのげこく・午前11時頃)、高田ヲ立。五智居多(こた)ヲ拝。』
◎「五智国分寺」

 仁王門



 芭蕉翁句碑
 《薬欄にいづれの花をくさ枕 芭蕉翁》
 三重塔




 芭蕉句碑
 《古池や蛙飛こむ水のおと》
 本堂


↓「越後国分寺の五智如来
五智如来とは、大日如来の五つの智恵を現す五仏です。向かって左より阿弥陀如来は、極楽往生の功徳、薬師如来は病魔を退散させる医薬の功徳、大日如来は太陽のように万物をいつくしむ功徳、宝生如来は福徳財宝・五穀豊穣の功徳、釈迦如来は智恵聡明の功徳を授けてくださる仏様です。中央の仏さまは胎蔵界の大日如来です。大日如来の印相は、二つの曼陀羅界で異なり金剛界では智拳印を結び、胎蔵界の大日如来は法界定印を結び、瞑想にふける姿をしています。左右は金剛界の四方仏で、焼失前と同じ並びです。本尊は、半丈六(約130cm)でヒノキの一木造りで、漆と金箔で古代色に仕上げてあります。」
↓「越後国分寺の由来
奈良時代の天平13年(741)に聖武天皇の勅命により、行基が開基した越後の国分寺です。その後、幾度となく災厄を重ね、永禄5年(1562)に、上杉謙信がこの地に真言宗の寺院として再興しました。江戸初期になって、謙信の甥俊海僧正が天台宗の国分寺として中興してから、幕末まで寺領200石が徳川幕府より寄せられていました。昭和63年1月に本堂を焼失しましたが、多くの方々のご協力とご浄財で平成9年10月5日落慶法要を執り行うことができました。今の本堂は、鎌倉時代の建築様式を模して、入母屋造り、銅板葺き、間口7間、奥行き6間の建物です。用材は主に青森ヒバ材で床にいたるまで槍ガンナで仕上げてあります。」
 「親鸞聖人御配所草庵」「竹之内草庵」


 親鸞銅像
 「親鸞聖人御配所庵跡」
 五智国分寺境内に「白山神社・右」と「神輿舎・左」が建っている。


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