『曾良随行日記』『○十二日 天気快晴。能生ヲ立。早川ニテ翁ツマヅ(躓)カレテ衣類濡、川原暫干ス。午ノ尅(うまのこく。正午頃)、糸魚川ニ着、荒ヤ(屋)町、左五左衛門ニ休ム。大聖寺ソセツ師言伝(ことづて)有。母義、無事ニ下着、此地平安ノ由。申ノ中尅(さるのちゅうこく。春秋なら午後4時頃だが、夏で日中が長いので午後4時半頃か)、市振ニ着、宿』
糸魚川宿の手前の早川で渡渉中に芭蕉が躓いて衣類を濡らして、川原で暫く干したというエピソードがメモされている。早川の上流に笹原温泉があり、源流は活火山・焼山。勾配が急で、それで早川なのだろう。
↓国道8号線。中央やや左の白い上下二枚の看板には「早川橋」(上)・「二級河川・早川」(下)と案内されている。その右の黄色の看板には「←笹原温泉」とある。旧北陸街道は海岸沿いだったろうから、芭蕉が躓いて衣類を濡らしたのはこの辺りを渡河中のことだったと思われる。
↓早川河口。海は日本海。右に見えるのは水溜りで流れがない。
↓これが早川の本流。河口だというのに確かに水流が早そう。
↓芭蕉が徒歩で川を渡ったと思われる国道8号線の早川橋の上から上流・焼山方面を写す。国道の橋、旧JR北陸本線の鉄道橋、北陸自動車道の橋、JR北陸新幹線の橋が並んで、芭蕉の時代の面影は金輪際ない。が、この辺りで芭蕉が川の中で転んで衣類を濡らして川原で干したのは間違いない。芭蕉を身近に感じられる地点のはずなんだが‥。
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