2020年1月22日水曜日

★奥の細道紀行 第234章 糸魚川市「新屋町(荒屋町)・左五左衛門方」(芭蕉が昼休みした地)

曽良随行日記』『午ノ尅(うまのこく。正午頃)、糸魚川ニ着、荒ヤ(屋)町(★註)、左五左衛門休ム』
註「荒屋町」は「新屋町」か。
↓「糸魚川市民図書館」


↓二階の郷土資料室の司書の人と検討した住宅地図。中央やや右寄りの住宅図部分が白くなっているのはラーメン店の失火から大火となった先年の焼け跡。その焼失部分に酒造メーカー「加賀の井」が含まれている。この加賀の井、江戸時代は加賀藩の参勤交代時の本陣だったという。とするとここが宿場の中心。右半分が今も「大町」。左半分は「本町」。しかし本町は「新七(あらしち)町」と呼ばれた時代があったという。「新」は「新屋町」の新、「七」は「七軒町(ひちけんまち)の七と見られる。
↓ボクが「糸魚川市史2(江戸前期)」の中からこの古図を探索した。解説によると、中央やや右に縦にくねっている黒い線が「城の川(じょうのかわ)」(この川は今はない。埋められて糸魚川駅前の大通りに化している)。北陸街道が右(東)から来て川に当たり左折して今度は右折して左(西)の方に行く。この屈折は宿場に付きものの「枡形」だろう。そして西へ図の三分の二ほど進んだところで大町が終わりそこに本陣があった。大町の西に接して北陸街道の北(上、海側)に「新屋町」が伸び、南(下、山側)に七軒町が伸びていた。図の左三分の一の上が新屋町、下が七軒町。芭蕉が昼休みをとったのはこの新屋町の一軒だった。
↓カーナビによると「加賀の井」は海近くの赤いG。出発点は糸魚川市役所敷地。ここに図書館もある。途中で糸魚川駅のすぐ西で北陸本線を横断する。
↓再建された酒造メーカー加賀の井。ここが宿場大町と新屋町の境界近く。


↓加賀の井の前から東方を見る。こちらから芭蕉と曾良はてくてく歩いてきた。
↓西方を見る。二人はこちら向けて歩いて行った。市振を目指して。
↓大町の枡形丁字路。左端の道は国道八号線バイパスで往時の街道ではない。押上から来る道が往時の街道だろう。
丁字路。手前に来ると新屋町・七軒町の宿場に続く。
↓第四銀行糸魚川支店は焼け残った。支店の右奥に建つのが再建された加賀の井。この支店こそ大町と新屋町の境界を成す。支店の左側に道があるがそれこそが新屋町との区切りの道。先程の古図にもその道は見えている。
大火の跡地。建物が半ばまで新築されている。 
〇「荒ヤ町」は「新屋町」のことであり、新屋町が何処に在ったかはほぼ明らかになった。「左五左衛門」方までは解明しょうがないが、ボクの《奥の細道紀行》はまた一つ課題を減らせたと言ってよい。

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