『曾良随行日記』 『‥‥入善(にゅうぜん)ニ至テ馬ナシ。人雇テ荷ヲ持せ、黒部川ヲ越。雨ツヾク時ハ山ノ方へ廻ベシ。(山の方に)橋有。(橋まで)壱リ半ノ廻リ坂有。昼過、雨為降晴(雨となり降りて晴れる)。申ノ下尅(さるのげこく。夏だから午後5時過ぎだろう)、滑 河(なめりかわ)ニ着。暑気甚シ。』
〇芭蕉・曾良の記述に依れば、二人は橋を渡らず、徒歩若しくは舟で黒部扇状地の数知れぬ川瀬を渡ったことが推定される。
〇現在の黒部川は、芭蕉の頃と姿・趣を異にする。芭蕉の時代、黒部川は扇状地一帯に川筋が扇子を広げたときの骨の様に一杯に広がって流れていたろう。今は治水のため堤防でしっかり区切られ囲われた部分が黒部川であり、堤防の外の扇状地は全体が田園となり耕地整理されて水流は用水として設営管理されている。黒部48ヶ瀬の面影は全くない。
↓国道8号線の鉄橋に着いた。黒部大橋
黒部大橋の袂
河原
黒部大橋
〇黒部大橋(国道バイパス)の辺りは新開道路で、芭蕉が歩いた道とは程遠いと思われたので、芭蕉の道に近づくために日本海寄りの海岸線を目指した。着いたのがこの橋。ルートは県道2号線。これぞ芭蕉の歩いた旧北陸(北国)街道にほぼ相当すると思われた。
↓「下黒部橋」
↓旧JR北陸本線鉄橋
↓河口・日本海に近そうなので土手を一直線に下流に走ってみると、直ぐに日本海に出た。
↓立山連峰を振り返って見ると黒部の谷の入口が見える。遠景の山のうち、右端の少し濃く見える山が左下に向けて尾根線をなだれ落ちさせているが、その落ち際が黒部谷の始まり。この山の裏側に宇奈月温泉が控えている。
↓入善から見た黒部谷の入口。手前の山の背後に宇奈月温泉、そして黒部峡谷がある。
↓黒部扇状地の伏流水が随所で湧き出している。その一つ、入善・高瀬の湧水。湧水の恵みを受けようとする人が引きも切らない。
〇黒部48ヶ瀬を渡って、芭蕉と曾良は酷暑の中、滑川宿に到着する。
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