2010年5月6日木曜日
5/5(水・こどもの日)、今夜のお泊まりは山形道上り線「寒河江SA」どす。
今朝は05:00に目覚め06:00に気仙沼南の道の駅「大谷海岸」を出立。山形を過ぎるまで国道・東北道・山形道と順調に繋いできたんだが、睡魔の襲来に耐えきれず途中のSAで横になったら…目が覚めたのが2時間近くも経った正午過ぎ。これで今日の日程は狂った。第一目標の羽黒山の国宝・五重塔を見学することに絞った。鶴岡ICを出たのが12:30、羽黒山の鳥居前に着いたのが13:00過ぎ。応神門を潜ってしばらく行くと五重塔があった。そこから山頂への石段を登り始めた。「一ノ坂」「二の坂」「三の坂」と急で長い坂が三つある。丁度真ん中の茶屋で抹茶付きあんころ餅を食べて休みを入れ何とか山頂に辿り着いた。そこには素朴雄大な「三山神社」の本殿が建っていた。前に家族旅行で来たときは、この石段登りを全部省いて有料道路で山頂まで来たので「三山神社」が何処に立っているのかも分らず、羽黒山は何処に在るのかと探す始末だった。何のことはない、羽黒山の山頂に鎮座していたのだ。出羽三山と一口に言うが、月山と湯殿山は高くて大きい、しかし羽黒山は破格に低くて小さい。このアンバランスの意味が漸く理解出来た、羽黒山は一般参詣者がいつでも登頂参詣出来る山として選ばれていたのだ、それで破格に低く小さくて正解。因みに三山神社の掲額を見ると中央に「月山神社」左に「湯殿山神社」そして右に「出羽神社」となっている、出羽神社であって羽黒山神社ではない。三山の神社の祭り・行事はすべてこの羽黒山で執行されるという。お賽銭をあげていたら中で宮司が儀式を執り行っていた、意外なことに耳にしたのは祝詞ではなくどう聞いても御経。この異様に巨大でボリュウム感のある建物は神社の拝殿じゃないのでは、そう思って背後を歩いて見るとやはり本殿がない。それじゃあこの巨大な建物は本殿兼拝殿なのかと思ってみてもどうもそうではない、屋根の上に神社的な千木・鰹木が乗っていない。そうなのだ、この巨大でボリュウム感のある建物は神社の本殿・拝殿ではなく仏閣二近いのだ、仏閣的な本堂なのだ。修験道・神仏習合が現代に生きていると理解すればよい。この本殿風本堂に接続して御先祖の霊を供養する巨大な施設も整っている。更によく見るとこの異様な本殿はもう一方を長い渡り廊下で「斎館」に繋げている。斎館では精進料理を振る舞う、直合(なおらい)のためなら本殿と接続させる必要はない、精進料理を出すことが三山神社では余程大事なことなのだろう。どうやら三山神社は普通の神社神道ではない、修験道・神仏習合の精神・伝統・形式を濃厚に残している。夕暮れ近い五時に応神門に着いた。この応神門もその昔は仁王門と呼ばれ仁王様が収まっていたと門前で土地の古老が説明してくれた。古老の話では、明治維新の神仏分離・廃仏棄釈の嵐が吹き荒れたとき一山の仏像などは離散したが相当数は宿坊街「手向(とうげ)町」の中の「黄金(こがね)堂」に収容された、黄金堂は重文になっているとのこと。夕暮れの中、黄金堂に寄ってから羽黒町を後にした。明日は天気が悪くなければ最上川の「大淀」という地点で絵を描く、午前と午後に一枚ずつ。二つの構図がとれる絶好点。「真下慶二美術館」のある所。雨なら妙高を目指して走り続けるつもり。
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