羽黒山を下りた夕暮れ近く「黄金堂」を訪ねた。訪ねたのは、羽黒山登山の折り「神門」(正確には山門というべし、仁王門だった)で出逢った老人の勧めによる。老人の話。「羽黒山は神仏習合、修験道のお山で往時は寺院が立ち並んでいた。明治維新の神仏分離、廃仏毀釈の嵐の中で、寺院は廃れ多くの仏像は「好物士(こうぶつし)」の手に渡り行方知れずになった。ただ33体の仏像が黄金堂に託されて現存している」。吾輩は尋ねた、「黄金堂は参拝する値打ちがありますか」。「ありますねぇ」。訪問した時は既に本堂の扉は閉ざされて33体の仏像に会うことはかなわなかった。「黄金堂」は、道を挟んで向かいにある正善院に帰属する。
山門
本堂
お竹大日堂。お竹さんは清く正しく善良に生き抜いた江戸の商家の女中さん。その生き方は江戸の人々の感動を呼んだらしい。ここにそのお堂があるのは寺院の名前が「正善院」だから、多分。
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