真夏の二週間の流浪の旅は狂気の沙汰だった。クーラーを一切点けなかったのが拙かった。熱中症と五十肩になって帰ってきた。その後遺症が癒えずこの二週間寝たり起きたりの生活を送った。週末が来ても旅に出る元気が出て来ない。致命的なのは左肩の痛み。運転できない。そんな吾輩の惨状を尻目に女房が先週月曜日に口の端に、「お父さん、週末出かけないの?ワタシ、立山に上るは‥」。聞き流していたら金曜日になって、「今日出かけないの?」。吾輩「タイソイ」(出かけるのは負担がきついの意)。女房「明日夕方から出かけない。立山へ」。運転は女房がすべてする気と見える。吾輩、「行く」。土曜日になったら女房は仕事の合間にセレナの掃除整頓を開始。さすれば今夜の泊まりはセレナで野宿とくるらしい。吾輩は、女房のプリウスで出かけて泊まりはビジネスホテルあたりだと想像していた。セレナでの野宿も結構気に入っているらしい。16:30七尾発。明日の立山での朝食・昼食を氷見で仕入れて富山地鉄立山駅着が19:30だったかな。道中18:30にはもう世界は暗闇。夏は天文物理的には終焉。しかし晩になっても暑い。寝苦しいのでクーラーでセレナを冷やして寝た。野宿地は立山美女平ケーブルカー駅前の駐車場。
日曜日05:00起床。明けてゆく空を見ると美女平の上に三日月が残っていた。06:00の始発に乗り込む人の動きが活発化。吾輩達は07:00の便に乗車、満杯。7分間で500m登って美女平駅へ。そこからバスに乗り換えて700m登るのに1時間かけて室堂平へ。
立山の地獄巡りをした。硫黄の噴気がきついのに律儀に地獄のすべてをじっくりと周回したので鼻と肺をやられた。地獄谷から這い上がって室堂に戻る道中で本当に地獄の目を見た。貧血気味で酸素の供給能力が低いうえに高山病にやられ酸素濃度の薄さがもろに脳と心臓を直撃。ベンチを発見する度に5回ほど寝て呼吸を回復した。ハァハァ息を吐くので女房が「厭な息をするぅ、救急隊呼ばなくていいの」。とにかく立山地獄の撮影には成功。しかしこの分じゃぁ雄山登頂は不可。山頂の「峰の本社」の撮影は後日の女房の登山に委ねることに。
立山ケーブル駅に下り、「称名(しょうみょう)の滝」の見学に回る。途中まで車で接近し最後の1.3kmは歩く。道は大変に良い。滝は大迫力があり、美しい。日本一の落差を誇る。昔は滝の全容を見ることはできなかったらしいが、今は観光道路が整備され、見学地点も完備。見学者の数も予想を遥かに超えていた。女房曰く「来てみて好かったねぇ」。
この後、芦峅寺(あしくらじ)の雄山神社(祈願殿)と立山博物館、岩峅寺の雄山神社(前立社檀)を探訪。立山信仰は山頂の峯の本社、芦峅寺の祈願殿、岩峅寺の前立社檀の三社一体で構成されている。
晩19:30七尾着。龍馬伝に間に合った。女房曰く「セレナでの流浪の旅は夏よりも冬の方が好いねぇ、夏は暑くて寝苦しい」
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