「推古天皇から持統天皇に至る七世紀の約百年間、飛鳥地方には歴代天皇の宮が次々と造営されたが、その遺跡はどれもまだ確認されていない。そのうち皇極天皇の飛鳥板蓋宮については、この付近とする伝承があり、昭和34年以来、主に橿原考古学研究所によって発掘調査が続けられてきた。その結果、掘立柱列で囲まれた東西約156m、南北約197mの長方形の区画(内郭)と、その南半では中軸線上に位置する5間×2間の門と、7間×4間の建物、北半ではここに復元したような高床式の大きな建物や大井戸など多くの遺構が検出された。また内郭の東南に接しては、9間×5間の大規模な掘立柱建物(飛鳥エビノコ大殿と仮称)を中心とする区画があり、さらに東の県道沿いには、これらの遺構を囲む外郭の柱列や石溝が南北に続いていることも明らかとなった。建物はすべて掘立柱で、周囲に石敷があり、木簡や土器などの出土遺物から、板蓋宮よりは新しい7世紀末頃の宮殿遺跡と推定されるが、下層にも遺跡があり、いずれの宮であるかは、なおこんごのちょうさをまたねばならない」(奈良県教育委員会)
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