北陸道を武生で下りて「越前陶芸村」と「剣(つるぎ)神社」を目指した。越前海岸と福井平野の間に蹯踞する巨大な山塊――丹生(にゅう)山地に分け入る。「越前陶芸村」で大・中の盛り付け皿を二枚買った。〆て5,250円。「剣神社」に到達。参拝。陶芸村から近かった。ここは織田(おた)町。剣神社の摂社に「織田神社」があった。織田信長の祖先が剣神社の神主をしていたという伝説は有名。剣神社の祭神はスサノオノミコト。山中で鋭角に折れるコースをとって鯖江へ。そして福井へ。「北の庄城」を探す。勘が当たって即到達。江戸時代の松平家の福井城と敷地が殆ど重ならないが一部重なる。柴田神社も出来ていた。柴田勝家は、梅原猛説によれば確かに神になる資格を有している、非業の憤死を遂げた。しかもお市の方と共に天主閣で爆死したという劇的な脚色付き。さらに北して新田義貞戦没地を目指した。が、和倉温泉・加賀屋での宴会の時刻との兼ね合いが厳しくなってきたので断念。福井北から北陸道に入り帰省が15:30。17:00の開宴に悠々と間に合った。東京浅草から呼ばれた幇間(たいこもち)の至芸に魅入った。獅子舞芸は天下一品。明朝9時に心臓カテーテル検査入院するので、二次会は冒頭に「能登はいらんかいね」を一曲披露しただけで戻って来た。
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