女房は天日干しした寝袋と枕を当然の如くにセレナの寝室に設えて呉れた。山崎さん(事務長)は「勿論」旅に出るんでしょうと言って旅費を呉れた。皆見事に吾輩の生き方に感化されてきた。「流浪の画家」に成り切る人生的環境が整備されつつある。環境が整備されてくると下手に流浪の旅に出ないという選択の余地が狭まる、旅に出ないともう精力の枯渇かと思われて恰好が悪い。いよいよ流浪の旅が吾輩本然の人生なのかどうかという試練が来る。答えは見え透いている。吾輩は難なくこの道にどこまでも邁進するだろう、誰の手も届かぬ所へ。試練など元々ない、性に合った道をようやっとハンドルを自ら握って進むことができるのに試練もへったくれもあるもんか。流浪の旅の途中で、絵になる神仏像に出逢いそれを画面に描き出そうという欲求が心中で動く。浄瑠璃寺本堂隅のセイタカ童子像、興福寺国宝館の金剛力士像二体、太秦寺宝物館の千手観音巨大像トルソー、唐招提寺新宝蔵の欠損仏トルソー達、渡岸寺(どうがんじ)観音堂の十一面観音像、法華寺本堂の秘仏十一面観音像etc. これらは必ず手がける。今、北陸道南条SAに入り込んでいる。今夜はここで宿泊する。明日の行き先は未定。京都・大和・河内方面が候補地。
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