「流浪の画家」の隆くん
2011年6月1日水曜日
4/30(土) 備中「高松城水攻址」、蛙(かわず)ヶ鼻
羽柴秀吉、畢生一代の大舞台、備中高松城水攻めの現場に向かう。それにしてもこの大鳥居には度肝を抜かれる。「最上稲荷」の鳥居。「最上」をどう読むか。「さいじょう」と読む、しょっている。高松城水攻めの舞台は、この鳥居を潜ったところから始まるといっていい。この鳥居の近傍に「蛙ヶ鼻」の築堤跡が残っている。地元の人に「蛙ヶ鼻」の地理を訊くと、「大鳥居があったでしょう、あの鳥居の傍の小川に沿って…」という具合に説明してくれる。
「清水宗治城跡」と刻された石碑。ここが本丸の中心らしい。
清水宗治公の首塚。本丸跡にある。
ムクドリ発見
本丸から二の丸にかけての一帯。今でも低地で蓮沼が広がっている。
高松城水攻め歴史館
清水宗治・自刃址。天正の昔、ここは水攻めによって水中に没しており、湖面に浮かべた小舟の中で清水宗治は切腹した。それによって高松城に籠った城兵・農民すべてが助命され、秀吉は築堤の堰を切って中国大返しのUターンに突き進んだ。
死ぬまでにこの目に収めておくことを悲願としていた「蛙ヶ鼻」が目の前にあった。
左手前の梯子に付いている楕円形は、水攻め時の水面の高さを表示している。
この図は築堤の長さが3kmだったという説に基づいて描かれている。近時、800m説も有力。
築堤の上から先端に向けて撮影。それにしてもわずかこれだけでもよくぞ崩さずに残しておいてくれたもの。
蛙ヶ鼻から高松城方面を展望する。
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