今朝の出足は遅かった。午前八時頃か。天気が悪くて気合が入らなくて。目指すは酒田市。途中で「鳥海山・大物忌神社」があったので探訪。出羽国一ノ宮らしいが、そう称するにつき紛議があった。旧官幣中社、延喜式・名神大社。一時この地位を失った。酒田では、家族旅行で訪れた「旧・本間家」と「山居(さんきょ)倉庫」を改めて訪問。新しい発見があるかもと。旧本間家は以前見たことに加えることはない。「本間様には及ばぬまでも、せめてなりたや大名に」と言われた本間家の住宅にしては実に質素なものというのが変わらぬ感想。山居(さんきょ)倉庫は新知見があった。時代物の倉庫は12棟並んでいる。そのうち大通り沿いの2棟が観光用に貸し出されているが、残りの10棟は今も現役倉庫。JA山形が庄内米の貯蔵用に使用。1番棟(観光棟の反対側)は「庄内米資料館」。次は鶴岡を目指した。ここも家族旅行で市街地は城址も歴史的建物の幾つかも探訪済み。羽黒山の麓にある「正善寺・黄金(こがね)堂」の探訪が目的。実は以前羽黒山を探訪した折随神門で古老から話し掛けられた。何でも明治維新の廃仏棄釈のとき羽黒山の仏像の殆どが失われたが、中に一部、麓の黄金堂に集められたものがある、一見の価値があるから訪ねてみるがよい。聞いて直ぐその足で訪ねたが夕暮れ時で既に拝観時間は過ぎていた。黄金堂・国重文建物の写真だけを撮って帰って来た。爾来黄金堂の内部が気になっていた。重文級の仏像がごろごろしているイメージを持った。いつか必ず再訪しようと念じていたが、今日、雨中遂に拝観が実現。若い僧が案内してくれた、親切だった。黄金堂の本尊は33体の聖観音。中央に大日如来似の聖観音が居て両脇侍にも聖観音が居て、さらに左右に15体ずつの聖観音が配されている。皆、黄金色の輝きを失っていない。吾輩の眼は古老の話に出た仏像群を探した。先ず目に付くのは、大きくはない黄金堂にそぐわない巨大な仁王像2体。幕末維新まで羽黒山の山門であったが今は随神門とされているその山門を守っていた阿吽の仁王像がここにある(山門が転じた随神門には今代わりに小っちゃな左右大臣像が置かれているが似つかわしくない、全然)。京都・清水寺山門の仁王像に似せて造られたものだそう。黄金堂の左右後ろの外壁に沿って内部に回廊がありそこに大体が小さめの諸仏が所狭しと並べられている。これらが神仏分離で破壊された羽黒山の堂宇から集められたという諸仏であろう。期待に反して重文級の仏像はなかった。注目すべきは、国宝・五重塔の本尊の前立ちだったと伝えられる小さ目の観音三尊像。五重塔本尊は5尺に余る観音像だったそうだが、それも黄金堂に運ばれる筈だったのに村人で横流しした者が居た。和製タリバン(神道原理主義、それも古来の神道ではない)の横行時代が日本にもあった。若い僧の話では、明治維新のとき羽黒山修験道は「神派」と「寺派」に分裂し両派は没交渉のまま今に至っているそう。寺派といっても「正善寺」だけ。山麓に展開する宿坊はすべて神派。正善寺は神仏分離のとき知恵を絞って山上に何とか一堂を確保しそこを道場として今も羽黒山で「寺派」修験道を護持厳修しているそう。黄金堂を後にして吾輩は折角ここまで来たのだから国宝探訪の旅の一環として雨の中、国宝・五重塔を再訪し堪能してきた。今、道の駅「寒河江(さがえ)」に居る。日本海側の庄内平野から月山・湯殿山を越えて山形盆地に来たことになる。今夜はここで泊まる。明日の旅程は立案が難しい。
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