2011年10月15日土曜日
10/14(金)、国宝・龍吟庵、国宝・大徳寺方丈・大仙院、国宝・光明寺二王門
14日(金)は小雨から雨になった。この日は山陽道・三木SAから名神・京都南で下りて、未だ探訪してない国宝建物を廻ることに。名神・桂川PAで探訪計画を練った。京都府内で未訪の国宝は、①大徳寺・方丈及び玄関2棟・唐門、②大仙院・本堂、③龍吟庵・方丈、④光明寺・二王門。このうち「光明寺」について吾輩は、浄土宗西山派大本山「光明寺」だと思い込んでいた。この寺なら二度訪問し隅から隅まで探訪済み。大寺。法然の遺体が焼かれた聖地があり、熊谷直実が住持した坊がある。しかし考えてみるとこの寺に山門が幾つかあるが、仁王門はなかった筈。念のためNet検索してみると、何と国宝のある光明寺は京都府綾部市の奥山の頂にある。②の大仙院は検索したら、大徳寺内の塔頭寺院。③の龍吟庵は東福寺内の塔頭寺院。実質三箇所回ればよい、よし、今日中に決着を付けようと決意した。先ず京都南IC最寄りの東福寺へ。着いて見ると「龍吟庵」は境内の片隅にひっそりと隠れてあった。探訪客は殆どない。しかも「観光はしていません」の標識が出ている。外から方丈の屋根の一部を撮り、東福寺本坊の受付で「東福寺の国宝」という写真集を買って大徳寺に向かった。途中念願の「新(いま)熊野神社」に立ち寄った。次の大徳寺では頭に来た。大徳寺の国宝・方丈・玄関・唐門、それに大仙院・本堂は、宗務本庁の高い塀囲いの中にあるんだが、門の真ん中に「拝観謝絶」の無慈悲な置物が。これで大徳寺・大仙院は吾輩の頭から消去された。写真集の買い様もない。無縁。吾輩の国宝リストから瞬時に省けた。残りは綾部市の光明寺。綾部は福知山・舞鶴の近く。雨が激しくなる中綾部に向かってひた走った。綾部市役所前に駐車し道程の情報を得ようとしていたら車庫入れ妨害の結果を招いた。その人に光明寺への行き方を尋ねたら「本当に行くんですか、遠いよ」と吾輩の目をまじまじと覗き込んだ。吾輩の意志の固さを見て、絵を描いてあげると書き出したが、いやその行程の複雑で長いこと。何せカーナビ検索にも掛からない所なのだ。その図面だけが頼り。幾度かしくじったが辛うじて山頂の光明寺に辿り着いた。雨中「国宝・二王門」を撮影して遂に京都府下の国宝建物全部の探訪を終えた。その最終が最難所の光明寺だったのが面白い。夕暮れ近く、七尾に向かうべく山を下りた。京都に戻るよりも小浜に出た方が近そうなのでそうした。七尾帰還、午後九時半。女房が吾輩の顔を見てびっくりしていた。吾輩は言った、「週末は休まないと」。丁度丸一週間の山陽・山陰の国宝探訪旅行、その写真報告ブログがいよいよ始まります。閑があろうがなかろうが見てね。
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