「流浪の画家」の隆くん
2012年1月23日月曜日
〇島原半島「原城跡」
↓一揆軍が立て籠もった「原城跡」は左下の海に面した緑色部分。他の緑部分は幕府軍、その実はオール九州の諸藩軍。一揆軍が拠ったのは「原城跡」であって原城ではなかった。当時松倉藩は居城を島原城に移し、原城は既に廃城になっていた。島原城築城にあたり原城を壊してその石材・木材を新城に運んだ。
↓一揆に立ち上がった島原の村々とその動員数。これらの村々は鎮圧後根絶やしにされた。幕府は他の地域の村々から次男・三男以下を駆り集めて入植させた。従って現在の各在所の住民は、一揆当時の村民と血縁関係は全然ない。キリスト教徒はまずいない。
↓本丸図。数字の順番に探訪。
↓①の「骨噛み地蔵」。島原の乱で散った三万人の人命を敵味方なく供養するために篤志家が祀った。
本丸・虎口門。戦後、幕府が埋めた。
↓崩されて埋められていた石垣の石。
↓本丸から二の丸・三の丸方面を望む。遠景の山は雲仙岳・普賢岳。
虎口から 本丸台地へ
発掘されたキリシタンのメダル
発掘されたクルス・十字架、念珠
本丸から二の丸を望む。遠景の山は雲仙普賢岳。
↓「原城蹟」石碑
↓「信念にもゆる・天草四郎」像
↓天草四郎の墓碑
本丸
↓本丸から指呼の間に天草諸島が見える。
本丸
↓本丸から出丸を見る。その向こうに見える山々の裾に幕府軍が布陣した。
↓籠城戦のために掘られた空堀。本丸と二の丸の間、海側にあった蓮池と繋がれ、本丸を島にしたらしい。
↓ 二の丸跡。右側に本丸台地が見える。
↓三の丸辺り
↓左端に大手門がある。
↓大手門付近
大手門付近。ここから原城跡が始まる。
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