「流浪の画家」の隆くん
2012年1月21日土曜日
〇福岡県太宰府市「観世音寺」に平安時代巨大仏像群を訪ねる
太宰府・観世音寺にとうとう来た。この寺の宝蔵を探訪することも今度の旅行の悲願の一つだった。寺は、旧太宰府政庁史蹟の隣にある。今も広大な領域を占めている。参道脇に大駐車場が用意されていた。それを知らぬものだからかつて知ったる太宰府天満宮門前の大駐車場にセレナを入れて歩いてきた。片道2km弱。
参道
↓夕暮れは遠くない、真っ先に宝蔵を探した。宝蔵は直ぐに分ったが、ここまで来て初めて大変なことに気が付いた。もう年末休暇に入っている、西都原考古博物館は休館で観覧できなかった、ここもかッ(~_~;)。幸いおじいさんが居て、どうぞと入れてくれたヽ(^o^)丿
宝蔵の中味が凄い。仏像の種類、制作年代、像高をよく見て戴きたい。5m前後の仏像が三体ある。この一覧表から抜けている国重文仏像が少なくとも七体あることに吾輩は気づいた。像高3m程の十一面観世音菩薩立像、阿弥陀如来坐像を囲む四天王像、地蔵菩薩坐像と立像。
↓宝蔵二階。いずれも国重文。左から地蔵菩薩立像、トバツ毘沙門天立像、地蔵菩薩坐像、聖観世音菩薩坐像。二つの坐像の間の小さい仏像は何であったか、忘れたf(~_~;)。
↓中央に聳え立つように並ぶ三体の巨大仏像。左から十一面観世音菩薩立像5m弱、馬頭観世音菩薩立像5m強、不空羂索観世音菩薩立像5m強。圧巻。観世音寺が平安時代から今日までの間、堂塔伽藍の殆ど全部を失いながらも如何にしてこれらの仏像群を護持してきたものか、仏像群の前に立つと不思議の感がする。
阿弥陀如来坐像と四天王像
↓中央・十一面観世音菩薩立像、右・吉祥天立像、左・大黒天立像
↓国宝・梵鐘
↓五重塔心礎跡
↓講堂。巨大仏像群は、宝蔵ができるまではこの講堂に安置されてきたらしい。
↓金堂
↓南大門礎石
南大門跡付近から講堂方面を振り返る
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