2015年4月30日木曜日

〇4/30(木) 芭蕉「奥の細道紀行」陸奥路 仙台、多賀城・壺の碑(いしぶみ)

4/30(木)、那須高原SAで目覚めたら07:12。出発したのが07:28。福島県を一気に通過して宮城県の仙台南で下りたのが十時頃か。ここから苦難の一日が始まった。何が苦難か。仙台は空襲で丸焼けになり、戦後、ザックバランな都市計画道路を基盤に以前と全く別の街になっている。芭蕉の通った奥州街道など跡形もない。手掛かりがないのだ。当てもなく右に左にセレナを走らせるばかり。こういう時は危ない、事故を起こす。基点を探し当てねば。「芭蕉の辻」を探すことに。芭蕉と曾良はこの辻に在った旅籠・大崎庄左衛門方に三泊して仙台市内のあちこちを探訪した。最後は勘で辻を引き当てた。辻の案内石碑を読んで呆れた。松尾芭蕉の事績には一言も触れず、昔この辻に芭蕉の木が生えていたので「芭蕉の辻」と呼ばれたんだそう。すると何かい、「芭蕉の辻」に・松尾芭蕉が偶然泊ることになっただけというんかい。そいつは話がマズ過ぎないかい。とにかく芭蕉が仙台で泊った旅籠がこの辺りにあったということは分かったが、都市計画でできた交差点だから何の感激もない。が、仙台で芭蕉が探訪した地点を探し当てるゲームのよすがとはなった。以下、次々に辿り着いた芭蕉ゆかりの地を発見順に列挙。
〇宮城野の萩で有名な「宮城野」。何と今は楽天イーグルスのホームグランド球場等の運動公園になっていた。田中将ヒロはここで24勝無敗の記録を残してメジャーリーグに行ったんだと無性に感激。
〇宮城野の近くで陸奥国分寺跡・「薬師堂」。
〇薬師堂境内もその一部と云える・歌枕「木の下」の森。今は「木の下公園」。
〇「榴岡(つつじがおか)天満宮」
〇「仙台東照宮」
〇「亀岡(かめがおか)八幡神社」。空襲で焼かれたまま昔の面影はまるでない。奇跡的偶然が重なって発見できた。いや、恐るべき執念の為せる業かな。
この後は塩竈街道での仕事となる。
△「奥の細道」と云う細道、「十符の菅」を産する谷には確かに辿り着いたはずなんだが、細道は四車線の産業道路になっている有様ではどうにもならない。
夕暮れ近くになってから、本日のメインエベント、「多賀城碑」「壺の碑(つぼのいしぶみ)」に挑戦した。
〇「壺の碑」には素直に逢えた。夕陽が沈むのを見ながら多賀城跡も見分。芭蕉はこの「多賀城碑」を歌枕の「壺の碑」と素直に受け留めて・紀行文《奥の細道》の中でも逢えた感動を劇的に述べている。が、事はそう単純ではない。歌枕の「壺の碑」は別の所にあるという説が有力。だがそれなら歌枕の「壺の碑」は何処にあるのかをその説は示せているかと云うと奥歯に物が挟まる。
明日のメインエベントは塩竈神社。が、神社に行く前に、塩竈・仙台間にまだ芭蕉が探訪した歌枕が幾つか手つかずに残ったままなのでそれを探し当てることから始めねばならない。こんな調子では、今度の春の流浪の旅だけでは決着がつきそうにない。

2015年4月29日水曜日

〇4/29(水、昭和の日) さいたま市大宮「氷川神社」

駐車場の守衛から参拝時間は30分程度と制限されて少し気を悪くして、三の鳥居の前に来た。
 ↓三の鳥居の前の参道
 ↓二の鳥居に向かって歩く
 ↓二の鳥居が見えてきた。時間の制約があるので参道を行くのはここまでとする。一の鳥居までは2kmはあるらしい。
 ↓三の鳥居を潜ると、右・神楽殿、左・額殿
 ↓森陰に楼門が見える。

 ↓橋の上から池を見やると、
 ↓手水舎
 楼門
 楼門を潜ると、正面に舞殿。
 ↓舞殿の奥に拝殿
 ↓拝殿の後ろの本殿。右側の建物は神輿舎
 ↓本殿。祭神は、須佐之男命・稲田姫命・大己貴(おおなむち)命
 拝殿と本殿
 ↓舞殿と楼門

〇4/29(水、昭和の日) 久し振りに妙高山と火打山の雄姿を見た。

〇左に尖っているのが妙高山、右に尖っているのが火打山(ひうちやま)。両者2400m前後の標高だが、火打山の方が少し高い。上信越自動車道・新井Pにて。
 ↑妙高山
↑火打山

〇4/29(水) 流浪の旅に出た。《奥の細道紀行》仙台からの続編再開のため。

4/29(水)、流浪の旅に出た。奥の細道紀行・仙台~酒田篇をやる。ハイライト場面の連続。早朝06:20発。本当は先週末に出発する予定だったが、事務所の山崎さんが盲腸炎・腹膜炎で三週間入院したので出遅れた。この週末まで出遅れると、東北自動車道下り線が渋滞になるので今日の出発が限度。
さいたま市大宮で行きがけの駄賃に氷川神社を探訪。武蔵国一ノ宮。大宮駅近く、街のど真ん中。参道が長大でそれは見事なのには感動させられる。文化財としての社殿は焼亡しているが、再建された神社社殿一式の立派なこと。旧大宮市の地名の由来を、ボクは今日初めて知った次第。この後さらに駄賃を稼ぐべく新座市の平林寺という寺を探訪しようとしたが、首都高に入って板橋にまで行ってしまい何度挑戦しても方向音痴丸出しで遠去かるばかり。諦めて東北自動車道の入口を探して本式に北を目指す。平林寺の件で時間を浪費し心も腐ったので、夕暮れを迎えて早目に宿泊することに。それでセレナを入り込ませたのが那須高原SA。午後6時半、もう暗い。予定よりも大分手前に止まったが已むなし。ここは白河の関の丁度手前に当たる。明日は福島県を一気に通過して仙台市街地に入る。そして芭蕉の宿泊・探訪地を探し回る。前回の奥の細道紀行の旅では名取市まで行った。仙台・松島探訪の作戦会議をこれから独りでやらねばならないが、時間がかかるのでとりあえずここまでをスマホのテザリング機能を活用してブログに送信する。

〇4/26(日)快晴 安曇野(旧)池田町美術館前からの眺望

〇風景画家定番のポイント。大町市(旧池田町)美術館前の眺望。小高い丘の上にある。
↓正面に有明富士。その真後ろに燕(つばくろ)岳。左側の白山は横通(よことおし)岳。

 ↓背後の白山は、左から蓮華岳・爺が岳・鹿島鑓ヶ岳・五竜岳・唐松岳・白馬三山。

 中央の山、左・爺が岳、右・鹿島鑓ヶ岳。

2015年4月27日月曜日

〇4/26(日)快晴 安曇野「大王わさび園」、若葉と清流

〇大王わさび園にはよく行く。しかし、わさび園が絵になると思ったことは一度もない。ここが絵になるのは、清流(安曇野伏流水)があり・新緑があるからだ。新緑が清流に影を落としている光景といったらこんなに美しいものはまたとない。

 ↓今は亡き奥田憲三先生がこよなく愛した並木道。
 ↓このポプラ並木も先生が鑑賞していた。若葉の頃。

〇4/26(日)快晴 信州高山の絶景

〇今日の目標は、信州高山のこの風景(小布施スマートICから行く)。ここで絵を描くつもりだった。が、現地で気が変わり止めた。背景の山が貧相。折から高山さくら祭りが開催されていて駐車難問題もあった。神社の桜がもう終わっていたのもちょっと不満。
〇ボクは去年も信州高山を訪れた。その時は「高山さくら祭り」が目当て。妙高高原のペンション・シェーネの情報提供。その際、この光景を発見。



 ↓今年の発見はこれ。何と!右から妙高山・黒姫山・飯縄(いいづな)山の北信三山、そして間に挟まって高妻山(戸隠の最高峰)、乙妻山が見えている。
 ↓もっと遠景の山々が見える地点を探して行ってみると、何と!飯縄山(左側の青い山)の左側に白馬三山までもが見えている。

↓右端に見える妙高山
 ↓黒姫山
 ↓飯縄山
 ↓妙高と黒姫の間に見える高妻山(たかつまやま、戸隠)
 ↓黒姫と飯縄の間に見える乙妻山(おとつまやま、戸隠)
 ↓左端に見える白馬三山
 ↓白馬三山、左から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳・小蓮華岳

〇この後、安曇野に向かった。