今日一日で讃岐の札所霊場残り11箇所を回るつもりだったが、予想通り無理で3箇所残した。86番から88番。ここまで来たら、明日午前中に周って帰るしかない。そこで今夜の宿として「道の駅・海の松原しどつ」を目指していたら、思いがけなくその手前の町に道の駅を発見。「源平合戦の里むれ」。牟礼町にある。屋島の古戦場は牟礼町に属すると主張している。それはどうでもよくて、ボクにとって大事なのはNETに繋がるかどうか。以前「海の松原」で昼休憩した時にパソコンをいじくってみたら繋がらなかった。それで今夜はブログを書くのを諦めていたんだが、「むれ」は新しくて大きくて設備も充実している。田舎という感じでもない。これはひょっとして‥‥と早速試してみたら、一発で通じた。ので、ブログを書かねばならないことにはなった。
今日の探訪で心に留まった霊場を列挙する。
先ず79番「天皇寺(てんのうじ)」。天皇の字を冠するなんて不遜じゃないか、よくぞ許されて来たものと思っていた。現地を訪ねると、「白峯神社」と隣合っている。足を踏み入れてみると、寺と神社の境内は混淆している。「白峯神社」の祭神は「崇徳天皇」。疑問は解けた。「天皇寺」は「崇徳天皇」の菩提を弔っているのだ。崇徳天皇は、保元の乱で後白河院と対立して敗れ、讃岐に流された。そして終生罪を許されず恨みを呑んで讃岐の地で亡くなられた。都人は、崇徳天皇の怨霊の祟りに怯えた。
次に81番「白峯寺(しらみねじ)」。白峯神社の「白峯」を冠するのが気懸かり。この寺は高い山上にある。車用の登山道は立派なもの。が、この寺に登り一山越えて次の山上の82番「根香寺(ねごろじ)」を結ぶラインは「お遍路ころがし」と呼ばれる歩き遍路にとっての指折りの難所。白峯寺を訪ねてみて合点がいった。この寺は、崇徳天皇の陵・「白峯陵」を守るが如き位置に立地している。実際寺の一画は立派な門で他と仕切られ、その中の堂は文殊菩薩と共に崇徳天皇を祀っている。ボクは「白峯陵」に上ってみた。西行が崇徳天皇の菩提を弔うためにこの地を訪れ歩いた「西行の道」を辿って。その時詠まれたという歌「よしや君 昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん」は有名だが、白峯陵の前で歌碑に刻まれたその歌を口にすると殊の外感慨が深い。
84番「屋島寺」は大きな寺だが格調があった。ボクの記憶では、国道沿いに屋島寺の赤い山門があった。それで屋島寺は平地にあると思っていたが、カーナビの誘導に従っていたら屋島スカイラインに入って(料金は610円、高いッ)山頂まで来てしまった。そこが終点。周りには土産物店があるばかり。また騙されたと腹を立てて戻ろうとしたが、念のため人々が歩いて来る方角をあちこち歩いてみるとある方角に「屋島寺」があって驚いた。カーナビに腹を立ててあのまま山を下っていたらそれこそ痛恨の悔いを残した。カーナビの誘導がなければ、ボクは有料道路の入口で引き返していた。「屋島寺」は昔、調停協会の旅行で訪れた。その時の記憶と今回の印象は全然違う。今度歩いてみた「屋島寺」は記憶のものよりも規模・品格が格段に優れている。記憶とは頼りないもの。
85番「八栗寺(やくりじ)」は「屋島寺」のある屋島の向かいにある屋島。屋島寺の方は山頂が真っ平だが、八栗寺の方は五剣岳がそそり立っている。源平屋島の合戦は五剣岳の方の屋島の裾で戦われた。この点、ボクは思い違いをしていた。八栗寺にはもう夕闇が下りる中、「八栗ケーブル」に乗って上った。写真はフラッシュを焚いて撮影したので良くない。駅に絵葉書があったので、せめてもの慰みにしようと思って買った。全然売れないらしく、若い女店員はその存在さえも知らなかった。ヴェテランが出てきて「古いものですけどイイですか」と訊いてきた。ケーブルカーで下りて来たら完全に宵闇だった。この寺は「聖天宮」の鳥居を立てている。歓喜天を祀る御堂が中心部にある。
明日こそ本当に家路に就く。しかし大渋滞に巻き込まれるのが見えているし、高速の休日割引もない。旅のプロ・流浪人(るろうに)タカシとしては不調法な結末を迎えようとしている。何か知恵を出さないとf(~_~;)
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