2014年9月25日木曜日

〇「奥の細道紀行」(36) 歌枕「遊行柳」を訪ねる。句碑《田一枚植えて立ち去る柳哉》

〇《遊行柳》☚リンク
↓中央上やや左の「現在地」が史蹟「遊行柳」。右下が白河の関。
殺生石・温泉神社から歌枕「遊行柳」を目指した。峠を二つ、三つ越える山道。芭蕉・曾良もこの峠越え道には往生したらしい。曾良の随行日記にその消息が表れている。
奥の細道「又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔(くろ)に残る。此(この)所の郡守、戸部(こほう)(なにがし)の、「此柳みせばや」など、折々にの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。」
《田一枚植て立去る柳かな
↓蘆野の里。この遊行庵の裏手に「遊行柳」がある。
↓田の中に遊行柳がある。


↓遊行柳


西行 「道のべに清水流るゝ柳かげ
     しばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集、山家集)
〇ボクは西行に心酔している。西行が遊行した所を生涯かけて回りたいと思っている。もっとも伊勢方面以外はあらかた回ったような感じなんだが、何せ源頼朝と同時代で古い人なので、その全足跡を掌握することが難しい。文献的に全旅程を明らかにすることは不可能なのだ。その点、松尾芭蕉の五、六度の旅行の全行程は、文献的に明らか。何せ御本人が旅行記を書き遺している。そして行く先々に句碑が過剰なほどに建っている。足跡が一々分かる。
西行歌碑と思って撮った写真がどうも間違っていた。残念。
↓芭蕉句碑


田一枚うゑてたち去る柳かな 芭蕉》
何代目かの遊行柳
↓根元を囲われたこちらの柳の方が古いそう。


↓遊行柳を通り過ぎて山手に行くと上の宮がある。古木が立ち並ぶ。
中でもこのイチョウの木が立派。樹齢400年だそう。



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