2014年10月1日水曜日

〇「奥の細道紀行」(41) 歌枕「鏡池・かげ沼」

〇奥の細道《とかくして越え行くまゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根(磐梯山)高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて、山つらなる。かげ沼と云う所を行くに、今日は空曇りて物陰うつらず。》
 ↑「鏡沼跡 1213年信濃源氏の泉親衡(ちかひら)による北条討伐の謀反が発覚し加盟者は捕らえられた。和田平太胤長もこれに参加した為、岩瀬郡稲村に配流され五月九日誅(処刑)された。夫の身を案じた妻は、鎌倉よりこの地に至り里人に夫の死を知らされ、鏡をいだき沼に入水して果てた。以来この沼を「鏡沼」というと伝える。‥‥芭蕉の奥の細道に「かげ沼と云う所を行くに、今日は空曇りて物陰うつらず」とあるは、この地は一種の蜃気楼現象が現れ、道行く人が水中を歩く如く見ゆることで有名であった。」
↓青い田んぼの奥に見える木陰に「かげ沼」がある。
 ↓芭蕉と曾良の石像。いかにも拙い出来だった。
 ↓古図。下方真ん中に「鏡沼」という文字がどうやら見える。
 鏡沼跡の石碑
 ↓鏡沼・かげ沼。水溜りになっているが、草が繁って池に見えない。

 木陰に鏡沼がある。
 鏡沼から細い流れで繋がった湿地にガマが群生。
 鏡沼(奥)とガマ沼を繋ぐ細流
〇歌枕「白河の関」のブログを歌枕で満載にしましたので見に行って下さい。

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