〇夕方近く、カーナビに従って須賀川(すかがわ)市営芭蕉記念館にたどり着いたら、記念館は移転してそこは公民館になっていた。皆親切で総出で記念館の移転先を説明してくれた。近かった、というよりも須賀川市街地が狭い。芭蕉記念館に飛び込んだのが午後四時半過ぎ。閉館時刻は五時。館員の女性たちは皆これまた親切で温かい。市営の芭蕉記念館があるのは、芭蕉が須賀川宿で七泊八日逗留したから。奥州俳壇の宗匠《等窮》の大歓待を受けた。
芭蕉時代の旅道具一式。右上・印籠、右下・瓢箪、中上・矢立、中下・和磁石、左・道中日記。
道中日記の左・革巾着、左端・草鞋。
旅枕
↓芭蕉と曾良の旅姿
添えてある句は「おくのみちは山みなまろし五月晴」。句は画を描いた渡辺光徳という人のもの。
↓芭蕉の坐像
《はるもやゝけしきとゝのふ月と梅 はせを(芭蕉)》
芭蕉が画の師と仰いだ森川許六の画に、芭蕉が句を添えた。↓芭蕉と曾良の旅姿。森川許六画。
〇森川許六(彦根井伊藩士)は芭蕉十哲の一人。芭蕉と最も心が通っていたと言われる。この画は芭蕉生前に描かれ、芭蕉の姿をよく表していると思われる。貴重な作品。
〇親切で魅力的な女性たちに「等窮」邸跡、等窮小公園の所在地を教わって、夕暮れ迫る須賀川の街に飛び出した。午後五時。
0 件のコメント:
コメントを投稿