2015年1月21日水曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(2) 氷見市《田子浦藤波神社》

《奥の細道》《担籠(たこ・田子)の藤浪は春ならずとも、初秋の哀(あはれ)とふ(訪う)べきものをと、人に尋(たずぬ)れば、是より五里、いそ(磯)伝ひして、むかふ(向う)の山陰にいり(入り)、(あま)の苫(とま)ぶき(葺き)かすかなれば、蘆(あし)の一夜(ひとよ)の宿かす(貸す)ものあるまじと、いひ(言い)をどされ(脅され)て、かゞ(加賀)の国に入(いる)。
わせ(早稲)の香や
分入(わけいる)右は有磯海(ありそうみ)》
↓田子浦藤波神社は氷見市にある。古代にはこの近辺は大きな湖沼地帯だった。今は干拓された田園が広がっている。「藤波神社を中心とした田子地方は、奈良時代は湖で、岸辺には藤が群生していた。越中の国主だった大伴家持は船遊びを楽しみ、和歌を詠み、万葉集に残されている。神社境内には今も数本の藤の老木が茂り、当時の面影を伝えている。謡曲《藤》はその万葉の和歌を題材としている。」
〇芭蕉は万葉の歌枕を訪ねようとしてわざわざ道を曲げて氷見を目指した。しかし、漁師の苫屋がわずかしかない辺鄙なところで一夜の宿を貸してくれる者などあるまいと言い脅かされて訪問を断念し、道を高岡に向けて直行した。
 ↓「田子浦藤波神社」
↓拝殿へ。参道脇に藤の古木が生えている。
 ↓拝殿
 ↓「大伴家持歌碑」


藤奈美能(藤波の)影成海之底清美(影成す海の底清み)
之都久石乎毛(しず(沈)く石をも)珠等曽吾見流(珠(たま)とぞ吾が見る)》
 ↓境内の藤の古木







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