2015年5月18日月曜日

〇《奥の細道》紀行・奥州路(12) 陸奥一宮「塩竈神社」(一)

〇《奥の細道》より、
早朝塩がまの明神に詣づ。』
↓「東北鎮護塩竃神社」表参道 豪商・豪農が上ったそう。この右側に行くと、七曲参道がある。この道は、一般庶民が上ったそう。さらに右に裏(東)参道がある。この道は武家などが上った。芭蕉と曾良が泊った法蓮寺門前の宿は裏参道上り口にあった。



 ↓楼門が見える
 ↓楼門


 ↓楼門を内側から見る
 ↓中門
 ↓中門を潜ると左手にある銅鉄合製燈籠
 ↓右宮・左宮合併拝殿。
 右宮・左宮が並列している形式の神社は全国を見ても類例がない。
 ↓左宮拝殿。祭神は武甕槌(タケミカヅチ)神。鹿島神宮の祭神。
 ↓左宮幣殿・本殿
↓右宮拝殿。祭神は経津主(フツヌシ)神。この神は、香取神宮の祭神。日本最強の武神二柱が祀られているとなると、この神社は大和朝廷の北の最前線・多賀城の守り神を祀る奥州鎮護の重要な社だったろう。
 ↓右宮の幣殿・本殿
 ↓右宮の本殿

↓別宮の拝殿 祭神は、鹽土老翁神(しおつちおじのかみ)。地主神だろう。この社は、中門を潜った右手に、右宮・左宮に対して直角の向きに建っている。
 ↓別宮の幣殿・本殿
〇以上の建築物はすべて重要文化財。
奥の細道》続き、
国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽(さいてん。椽は、たるき)きらびやかに、石の階(きざはし)九仞(きゅうじん。非常に高いこと。現在石段は202段あるそう)に重なり、朝日あけ(朱)の玉がきをかゝやかす。かゝる道の果て塵土(ぢんど)の境まで、神霊あらた(か)にましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。』
〇塩竈神社の稿、続く。

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