10/10(土)三連休初日。信州千曲方面に向けて出発。途中、上越高田に寄って「光栄寺」を探す。光栄寺は《奥の細道紀行》村上編で登場した。芭蕉と曾良が参拝した村上藩主の菩提寺。藩主の藩替えと共にその後転々し最後は上越高田に落ち着いたという。それを探す仕事が残っていた。昼下がり、上越高田の寺町に到着。浄土真宗本山・浄興寺の重文・本堂と親鸞聖人の御本廟を再探訪し、近くで「光栄寺」を発見。寂れていた。墓地を見分したが、藩侯の墓らしきものは全然ない。芭蕉に結びつきそうな句碑もない。しかしこの光栄寺こそ、芭蕉が村上を訪れたときそこに在った光栄寺に違いない。
↓浄興寺の門前にあった寺町の寺院配置図。高田藩の都市計画で寺町にこれだけの寺院が集められた。概算したら、64カ寺もあった。
↓寺町のほぼ中央に「光栄寺」発見。↓本堂
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