2015年10月13日火曜日

〇10/10(土)上越高田市・浄土真宗本山「浄興寺」

〇浄土真宗本山・浄興寺
この寺は、宗祖・親鸞聖人によって創設された。親鸞は1207年念仏禁止令により越後の国の国府(旧直江津)に流罪となった。越後滞在7年の後、妻子と共に常陸国へ移り、笠間郡稲田郷に稲田禅坊を開いた。稲田禅坊で真宗の根本経典である教行信証を著した。その喜びの気持を山号・寺号に顕し、禅坊を歓喜踊躍(かんぎゆやく)山・土真宗行寺、略して浄興寺と名付けた。ときに1224年、本願寺の創建より48年前のこと。聖人は浄興寺にとどまるところ10余年、京都へ帰り1262年90歳で入滅した。聖人の御頂骨ならびに遺宝物は御遺命に従い当山第二世善性上人(後鳥羽天皇皇子)によって一宗開闢の地、稲田浄興寺に安置された。後に稲田浄興寺は戦火を受けて灰燼となり、寺領のある信濃国水内郡太田庄長沼に移った。以後およそ300年間長沼にあったが、1561年川中島合戦の兵火をあびて堂宇炎上し、1567年上杉謙信公の招きにより春日山城下に移り堂宇を建立し上杉家の紋章を拝領した。‥‥さらに松平忠輝公(徳川家康の子)の高田城築城と共に高田へ移り、1665年の地震により堂宇崩壊したので、時の藩主松平光長公の市街復興計画に従い現在の地に堂宇建立し300有余年の年月を経て、現在に至る。

 ↓重文・本堂


 ↓親鸞聖人・御本廟




 ↑「親鸞聖人御本廟 宗祖親鸞聖人は弘長2年京都でなくなられ、御頂骨は一宗開闢の地、稲田浄興寺に安置されました。それ故本願寺歴代門主は御頂骨奉安所を慕い、各々御頂骨を分納することを例としました。それ故当山本廟内に第三代覚如上人より第二十代達如上人まで納められております。浄興寺第二十四世厳正上人は本廟の再建を計画なされ、当時伽藍師の名匠と称された柏崎の篠田宗吉師が棟梁となって、明治15年に起工し、同21年6月に精巧の美を尽くした廟宇が完成しました。‥‥」

 ↓滝を昇る鯉

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