〇尼崎市街の真ん中に寺町がある。この一角に寺が16前後集められている。尼崎城築城の時の都合による。その中に本興寺がある。法華宗4大本山の一つ。境内に重文建造物が三つもある。
本興寺の開基は1420年。当時の摂津国守護細川氏が、大物(地名)の若宮八幡宮の境内地を寄進して成った。ここに「大物」の地名が登場することに注目。戦国時代の尼崎城は大物城とも呼ばれた。江戸時代になり、戸田氏が尼崎藩主となり、1617年に大物に尼崎城が築城されることになり、本興寺は現在地に移転した。この経緯からすると、戦国時代の大物城(尼崎城)と江戸時代の尼崎城はほぼ同じ所に在ったことが分る。
↓「大本山・本興寺」↓山門を潜って見る本堂前境内
↓本堂
↓本堂前に銅像がある。多分日蓮聖人。気合が入っている。
↓〇三光堂・重文
↓「番神宮」の掲額
↓「重文・三光堂 三間社流造銅板葺
もと大物浦にあったものを1620年現地に移したもので、拝殿は1597年豊臣秀吉・加藤清正再建。三光堂というのは、三光天子(日・月・星の神)、鬼子母神、日本大小の神祇等の、法華経信徒守護の善神を祀る故名づけられた。桃山時代の面目躍如とした彫刻が施されている」
★ボクは拝殿に目が行って、その背後に本殿があったのを見過ごしたと思われる。「三間社流造銅板葺」の建造物は見ていない。失敗。
↓祖師堂。宗祖日蓮大聖人の尊像を奉安している。
↓〇開山堂・重文 この開山堂は1469年の創建。重文彫像・開山日隆聖人の尊像を奉安している。
↓〇大方丈・重文
↓三つの棟が並んでいるうち、一番左の棟の建造物が大方丈。手前の建物は庫裏・寺務所。
↓こちらは裏門・日用門
〇寺宝として数珠丸という守護刀がある。日蓮大聖人が信者から献じられ、守護刀として所持していたと伝えられる。
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