2016年5月12日木曜日

〇尼崎市「法園寺」 何故か、佐々成政公の墓がある。

〇尼崎市寺町、本興寺の裏手の小路に法園寺(ほうおんじ)がある。浄土宗。何故か佐々成政公の墓がある。
 ↑「法園寺(ほうおおじ)浄土宗 本尊阿弥陀如来
開基は天文年間(1532~55)。‥元和年間(1615~24)に寺町に移転した。当寺には佐々成政の墓碑がある。成政は織田信長に仕え、猛将として名を馳せ、その功により越中守に任じられた。本能寺の変後は、織田信雄(信長の次子)を奉じ天正12年(1584)小牧長久手戦に参戦したが敗れ、のち豊臣秀吉に属することになった。肥後守在任中、領地内で反乱がおこり、その責により幽閉され、天正16年(1588)に切腹を命じられた。恨みの秀吉の居る大阪城の方向に自らの臓腑を投げつけたと伝えられている。‥」
↓山門・右手前の石碑
↓境内左手にある
↓「佐々成政公・供養五輪塔」
 ↓佐々成政の生涯を刻してある。読者の興味を引かないと思われるので省略。
 ↓庫裏、本堂


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