〇戦国時代、真田一族が本拠地としていた上田盆地の西端に塩田平と呼ばれる平地がある。信州の鎌倉とも呼ばれ、早くから開けたところである。国宝・重文の建造物が集中している。
〇二年半以上前の桜の季節に塩田平を探訪した。上田から別所温泉を通過してさらに西に行く。先ずは「前山(まえやま)寺」から。
↓参道に欅の巨木が二、三本立っている。見事な大木。↓山門へ
↓「前山寺縁起 一、当山は、新義真言宗の寺院で、本尊は大日如来、かつては信州四ヶ談林の中に数えられた教学の殿堂であり、塩田城の鬼門に位置してその祈願寺でもあった。一、往昔、弘仁年中、独鈷山を護摩修業の霊場として創立。はじめは古義真言にして法相・三論両宗を兼ね、法蔵坊・花蔵坊・地蔵院といっていたが、鎌倉時代に讃岐国善通寺の長秀上人、伽藍建立を発願してこの地に来止し、その規模を拡大して、正法院前山寺としたと伝えられている。一、‥‥中でも第二世祐俊上人は事教兼備の学僧で、七堂伽藍整備をすると共に、興教大師の教相を慕って新義を信奉し、二十巻に亘る写経を残している。‥‥一、境内にある三重塔は、室町時代の建立といわれ、国の重要文化財に指定されている。‥‥」
↓境内正面に重文・三重塔が立っている
〇この三重塔は二、三層が未完成。壁・窓がなく、貫(ぬき)も横に出っ張ったまま。室町時代の建築らしい。
↓本堂は重厚な茅葺建築
庫裏前の庭
0 件のコメント:
コメントを投稿