2016年12月21日水曜日

〇2015-10-21(水)上野大仏。寛永寺に関東大震災まで大仏がいた

〇ここは上野公園。1年前に、調停委員を29年間勤続し最高裁長官表彰を受けて上京した時に寄った。寛永寺の全貌に迫ろうとした。上野大仏のことは全く知らなかった。大仏のことは、東京人も知らないか、古い人でももう忘れているのではないか。
 ↓大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立されている。開門時間は午後4時までで、ボクの訪れた時は残念ながら閉門。

 〇↓「上野大仏(パゴダ) 上野の大仏は、寛永8年(1631)に建立された丈六尺(約5m強)の漆喰の露仏が最初ですが、正保4年(1647)の地震により倒壊し、その後木喰上人が青銅製の2丈2尺(約7m強)の大仏を復興して元禄になると輪王寺宮公弁法親王が大仏殿を建立しました。その後もたびたび罹災し、その都度復興されましたが、関東大震災によりお首が落ち、第二次大戦時に軍需品製造の供出令により胴体の部分は徴用されてしまい、お顔のみが残されました。大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立され、本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られています」(以下、寛永寺有料パンフより)
 ↓在りし日の上野大仏
 ↓現在の上野大仏。顔のみが残されている。

0 件のコメント:

コメントを投稿