〇大行社本殿の探訪は苦労だった。ネット検索でもカーナビ検索でもその所在位置の表示は曖昧だった。しかし確かなことは金剛輪寺の近くだということ。
↓湖東三山の一つ・金剛輪寺の山門前に来た。検索情報によればこの門の左側に行けばほどなく「明壽院」があってそこに大行社があるはず。左側に確かに塔頭寺院と思しき寺が見える。楽勝気分でそこへ行くと、何と寺の名が違う。おかしいと思いながらその周辺を嗅ぎ回ったがどうしても目当ての社はない。金剛輪寺の博物館の周辺にもない。ある雰囲気が全然ない。頼るは金剛輪寺の拝観受付所のおばさんと思い定めて近づいて訊いた。普通訊いても十中八、九良い答えは帰って来ない。ワタシ地元でないもので、とか、そんなのあったかなぁ、という具合。ところがそのおばさんの表情、ボクが「大行社」と書いた紙片を見せると直ぐに反応した。「あぁ、ここね」「こんな所、よお訪ねてきたね」という感じ。ボクは地獄に仏のような顔になったと思う。そのおばさんは懇切に行き方を説明してくれた。それが実に分り易い。先ず山門を出たらボクが選んだのと逆の方向に行くように指示した。そっちは道が途切れるように見えるんだがそうではないらしい。道なりに迷わず進んで行くと、名神高速が高架になっていてその下のトンネルを潜る。潜ったら道が分かれる。左に行く。道なりに行くと森が見える。その森が、大行社の森。この説明で辿り着かなかったら、今度の重文本殿はよっぽどボクと縁がない、そう諦めようと思った。ボクはそのおばさんにお礼を述べて、いざ再出発をした。
↓金剛輪寺山門
↓山門を出て、おばさんの指示通りに歩いて行くと道はどこまでも途切れずに続いていそう。ハリアーを運転して来ればよかったかなぁとチラリと思う。↓来たッ。おばさんの言う名神高速高架下のトンネル。ハリアーを置いてきて好かったと思った。
↓トンネルを潜ると道が別れていた。左・百済寺、右・国民宿舎(金剛輪寺荘)、手前・金剛輪寺(ここは金剛輪寺から300m地点らしい)。重文・大行社の案内はどこにもない。ここに至るまでどこにもなかった。とにかく左に道をとる。
↓すると森が見えてきて、出遭った鎌を腰に差したお爺さんに、ここが「たいぎょうしゃ」ですかと訊いたら、頷きながら一言「だいぎょうしゃ」。本殿は重要文化財ですか、と訊くと、黙って去りながら誇らしげに頷いていく。その顔を見てボクも嬉しくなった。
↓大行社の鳥居に着いた。
↓「大行社は、‥金剛輪寺南門の守護神として勧請したのが始まりと伝えられ、祭神は大行事を祀る。現在の本殿は、もと金剛輪寺本堂の北側にあった三所(さんしょう)権現社本殿を、明治10年に大行社本殿の焼失に伴い現在地に移建したもの。蟇股の墨書により文安4年(1447)に前身地で建てられたことが分る。‥‥」
↓大行社。拝門があり、その真後ろに重文・本殿がある
↓重文・本殿
〇文化財探訪の旅は、その土地々々の人々の好意に導かれながら成就していくもの。
〇次は、近江八幡市・小田神社の重文・楼門へ。
0 件のコメント:
コメントを投稿