日光山の麓を辿り(日光街道の北側、大谷川(だいやがわ)の北岸)、瀬尾(せのお)で会津西街道に入って北上する。小室という村で道を東にとり(会津西街道と別れ)、大渡(おおわたり)の仮橋で絹川(鬼怒川)を渡る。大渡からは日光北街道。それを西へ西へと進む。船入(現在の船生か)を経て玉生(たまにゅう)に至り、さらに矢板まで行くと奥州街道に合流する。
〇前回は小室を発見できず会津西街道を北上し続けて鬼怒川温泉まで行ってしまった。
↓今回は会津西街道と別れることができて何とか大渡に辿り着けた。手前の道はボクが小室から来た道。鬼怒川・大渡の渡し場は右側を下って少し行く。∴芭蕉が辿った小室から来る道はもっと右側(南側)にあったはず。
↑↓大渡(おおわたり)の交差点↓鬼怒川・大渡の渡し場に架かっている大橋
↓大橋の袂に、昔からあったような風情の茅葺屋がある
↓大橋が架かる前の名残の遺跡を発見。バス停だが、よく見ると、
↓日光市役所を発って、大渡が終点となっている。大橋が無かったからだと思われる。
↑↓「立入禁止・駐車禁止」の措置は何故とられているか。ここがバスの回転場だったから
〇日光北街道は今も残っている。しかし国道461号船生(ふにゅう)バイパスが完成して在所の人にしか利用されていない。漫然と走っていてはその入口を発見できない。
↓旧日光北街道を船生から東進して来ると.玉生(たまにゅう)の在所に着く。ここが旧日光北街道玉生宿
↑↓この案内標識はこの家の亭主が勝手に立てた。ボクが芭蕉一宿石碑の所在地を訊くと懇切に教えてくれた。亭主の話では、玉生宿の庄屋は玉生さんと云い、ワシの家もその昔玉生さんの屋敷であってその一部。芭蕉一宿の地はどこあろう、私の家こそそうなのだと言いたげだった。
〇日光から玉生宿まで、芭蕉と曾良が歩いた道を遂に辿れた。執念勝ち。
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