2017年6月6日火曜日

〇6-3(土)京都府大山崎町「宝積寺・宝寺」重文三重塔、重文仏像

〇向日神社を後にして本当の目当ては天王山山頂近くの「自玉手祭来酒解(たまでよりまつりきたるさかどけ)神社」だった。が、登り口がどうしても見当たらない。麓をウロウロしていたら「宝積寺」の入口を見つけた。酒解神社の次は宝積寺の予定だったので寺院探訪を先にすることに。
↓左上隅に「天王山270m」と記されている。そのすぐ右側に「自玉手祭来酒解(たまでよりまつりきたるさかどけ)神社」と「十七士の墓」の記載がある。そのすぐ右側に名神高速天王山トンネルの入口がある。右上に細い川・小泉川があるが、これぞ光秀と秀吉の両軍が対峙して決戦した山崎の合戦の主戦場。左下辺りに「妙喜庵・国宝待庵」、離宮八幡宮がある。左下隅から大阪府島本町が始まる。
 ↓「宝積寺 真言宗智山派 開基・行基 聖武天皇勅願所
重要文化財 神像・倶生神坐像・闇黒童子坐像・閻魔王坐像・木造司録坐像・木造司命坐像、十一面観音立像、金剛力士立像、三重塔」
↓仁王門

 ↓重文・金剛力士立像


 ↓重文・三重塔
  
 ↓殉国十七士墓。幕末・蛤御門の戦いで敗れた長州藩士・家老真木和泉守以下十七烈士の墓。十七士はここまで落ち延びたが逃れ切れないと覚悟して一同切腹して果てた。これら烈士の本当の墓は天王山の頂上近くに在ることを直後に知る。

 ↓本堂へ
 ↓本堂

 ↓本堂左の大黒天堂
 ↓本堂右側に在る宝物庫

 宝物庫内に重文「閻魔王坐像・木造司録坐像・木造司命坐像」があるらしい
 ↓400円の拝観料で重文「十一面観音立像・閻魔大王とその眷属像」が拝観できた。到着が午後四時半とちと遅かった。残念。いつかまた来て拝観しよう
↓本堂の横を抜けて好い貼り紙を発見
 ↓天王山山頂に行ける。「自玉手祭来酒解神社」もそこに在る
 ↓禁門の変の史跡・十七烈士の墓もある
〇ボクは俄然天王山山頂に向かって歩き出した。日が長くなり夕暮れまでには未だ十分余裕があった。

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