〇石上神宮参拝はこれで三度目か。この神宮は古代氏族の筆頭・物部氏の総氏神を祀る。物部氏は、仏教を信奉して抬頭した蘇我氏と対立して敗れた。石上神宮は奈良盆地の東端にあり法隆寺は西端にある。奇しくも両者を結ぶ線は、綺麗に東西一直線をなす。
↓柿本朝臣人麿歌《をとめらが袖布留(ふる)山の瑞垣の 久しき時ゆ思ひきわれは》万葉集巻四より↓神鶏が数十羽は闊歩している。夜は、犬猫・狸等から護るため囲われているに違いない
↓古代の「山の辺の道」。この道は桜井に出る
〇国宝・石上神宮摂社出雲建雄(いずもたけお)神社拝殿。この拝殿は、元内山永久寺(現在廃寺)の鎮守社の拝殿を同寺廃絶後、大正3年に移築したもの。
↓摂社「出雲建雄神社」・式内社
〇重文・楼門
楼門の前を通る道も古代「山の辺の道》の一つ。この道は奈良に至る
楼門を 潜る
〇国宝・拝殿。平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝わる
↓拝殿の背後に本殿の一部が見える。当神宮にはかつては本殿が無く、拝殿後方の禁足地を御本地と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていた。明治7年管政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年本殿が造営された
↓本殿向かって左に神庫(ほくら)が建つ。
〇神庫には、国宝・七支刀(ななつさやのたち)を始め、鉄盾等幾多の重文が収蔵されている
〇七支刀には銘文が刻まれており、この銘文が古代史を解明するための第一級史料を提供してくれている。百済から贈られた。
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