〇先ず鄙びてささやかな温泉街が残っている平瀬温泉郷へ。今はバイパスが通じて温泉街を迂回するので旧道を求めて入らねばならない。
客足は落ちただろう。ここに至る道中に「白弓スキー場」の入口があった。子供達が児童生徒だったころ何度か来た。懐かしい。あの頃は白川郷に来るまでも下道しかなかった。よくぞ雪道を遥々とこんな山奥まで来たもんだ。
〇平瀬を過ぎて旧道をさらに行くと「重文遠山家」があった。合掌造りの家。入った。入館料300円。
旧道化したことによる客足減少の影響はこちらの方が深刻だろう。
〇御母衣(みぼろ)ダムに到着したのは昼前。ロックフィル式ダム。この型式の三大ダムは「御母衣ダム」(岐阜県)、「九頭竜ダム」(福井県)と「手取ダム」(石川県)。白山を中心にした地域に集中している。この布置は、白山信仰に基づく修験道の聖地「白山神社」が飛騨(白鳥・白山神社長滝寺)、越前(勝山・平泉寺白山神社)と加賀(鶴来・白山ヒメ神社)にあったのと何となく符合する。いずれも白山の登山口にあった神社。
〇御母衣ダムの真ん前に「御母衣電力館」があったので入った。
無料。ロックフィル式ダムの構造やその造り方、ダムの地下に21万5000kwを発電する発電所が隠れていることなどを学ばせてもらって目から鱗、だった。「荘川桜記念館」にもなっていて、目当ての桜の大樹2本の在り処も分った。
〇その「荘川桜」。ダム湖の底に沈む運命だったのを、同じく湖底に沈むことになった村の住民を中心に結成された《移植して死守する会》の活動が功を奏して湖岸の新道の脇に移植されて生き続けることになった。当時樹齢400年と言われていたから今はもう樹齢450年になる。老樹が二本とも移植翌春に少し芽吹き、数年後に満開の花を咲かせたのは奇跡か。
〇進路を南から東にとり「小鳥峠」を越えて高山市街に出た。ボクは「ことり」峠と読んでいたが「おどり」が正しい。「桜山八幡宮」を目指す。この神社は秋の高山祭(八幡祭)を司祭する神社。春の高山祭は山王祭。司祭神社は日枝神社だろう。桜山八幡宮の周辺は交通規制が複雑で、ボクは前回の探訪を失敗している。今回は探訪の雪辱戦というわけ。午後4時到着。
↑この神輿、20トンもあるそう(基部の黒い部分が鉄製)。街に繰り出すには、肩の高さの揃った若い衆が280人必要。それで20年前からずっとお蔵入り。
〇下呂に向かう国道41号線を南下していたら夕方6時前「道の駅飛騨街道なぎさ」があったので入った。居心地が悪くないので今夜はここで泊まることにした。飛騨川の岸辺にあるので急流の水音が涼しく聞え、また川の反対側を走る高山線の列車が時々過ぎて行くレール音も旅情がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿