〇芭蕉は、須賀川(すかがわ)に同門俳友「相楽等窮(さがらとうきゅう)」を訪ねて下にも置かぬ大歓待を受ける。その時「等窮」から初めて白河に芭蕉の大ファンの俳人「何云(かうん)」(白河藩士)が居ることを聞く。逢えずじまいを残念に思った芭蕉は須賀川の旅籠から「何云」宛に書簡を認めた。その書簡は現存し《何云宛真蹟書簡》として有名。その中には白河を詠んだ句
《西か東かまづ早苗にも風の音》
が認められているそう。
《関守の宿を水鶏(くいな)に問はふもの》の句は、通り越した白河の地における「何云」の存在を聞いて思わず詠まれた。「何云」を白河の関の関守に見立てている。関守の住処を水鶏(くいな)に尋ねればよかったものを‥‥と会わずにきたことを悔いまた詫びている。水鶏はその鳴き声が家の戸を叩いて訪ね歩いているように聞こえるらしい。この《何云宛真蹟書簡》、これだけの由来に彩られ、芭蕉の句も詠み込まれているとなると大変な宝。掛け軸にすれば茶道の大名物。
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