《奥の細道》《それより②野田の玉川・③沖の石を尋ぬ。④末の松山は寺を造りて末松山(まっしょうざん)といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契(ちぎり)の末も、終(ついに)はかくのごときと、悲しさも増(まさ)りて、塩がまの浦に⑥入相のかねを聞(きく)。》
『曾良随行日記』『八日 (午前十時)仙台を立つ。十符菅・壺碑を見る。未の剋(午後二時)、塩竈に着く。湯漬など喰う。④末の松山・③興井(おきのい)・②野田玉川・おもハくの橋・⑤浮嶋等を見廻り帰る。出初に①塩竈のかま(釜)を見る。⑦宿、治兵へ(衛)。法蓮寺前、加衛門の状を添える。銭湯有るに入る』
〇午前十時に仙台を立った二人は、十符菅・壺の碑を見ながら午後二時に塩竈に着いた。そして歌枕を訪ね歩いたが、出初めに詣でたのは「御釜神社」だった。
「塩竈」の地名の由来とされる竈が境内に安置される。また毎年7月には鹽竈神社例祭の神饌を調進する特殊神事「藻塩焼神事」が行われるなど、鹽竈神社の末社でも特別な位置づけにある(Wikiより)。
↓「御釜神社」。
↓「藻塩焼神事」(Wikiより)
↓神竈(しんかま)奉置所
↓Wikiより
↑「御釜神社 元禄2年5月8日(陽暦6月24日)、仙台を立った芭蕉は「未の剋、塩竈に着。湯漬など喰。‥‥‥出初に塩竈のかまを見る。‥‥‥」(曾良随行日記)、御釜神社――塩土老翁神が製塩に使用したと伝えられている御神釜四口が奉置――を詣でた後、歌枕巡覧に出発する」
↑「竈の中に張られた水は、干ばつの時にも涸れることがなく、事変があるときは水の色が変わるとも言われている」
↓垣の隙間から覗いて見た。
↓塩竈神社境内の塩竈博物館で
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