〇「思わくの橋」 歌枕(後述)
↓何人もの市民に訊いて回り、遂に「思わくの橋」に到達
↓何人もの市民に訊いて回り、遂に「思わくの橋」に到達
↓現代の「思惑の橋」前景
↓橋の下を流れる川こそ「野田の玉川」
↑「野田の玉川 史跡の宝庫であるわが郷土は、歌枕や伝説に彩られたまちでもある。古来、王朝貴族をはじめとする多くの歌人が、この地の情景に心を託し歌を詠んだ。
《ゆふされは しほ風こしてみちのくの のだの玉河千鳥なくなり》(新古今和歌集)
平安中期のわび人能因法師の歌である。その流れを塩竈の大日向に発する玉川は、全国六玉川のひとつといわれ、末の松山や沖の石と並ぶ、郷土が誇るみちのくの歌名所である。」
↑「おもわくの橋 歌枕で名高い「おもわくの橋」は、四代藩主伊達綱村の時代にも整備が行われている。その時、橋の東側丘陵に平安時代の歌人西行の歌にちなみ、楓が植えられたという。
《ふまゝうき もみちのにしき ちりしきて 人もかよはぬ おもはくの橋》(山家集)
かつて西行がこの地で見たものは、みちのくの遠の朝廷の、わびしくも美しい情景か。元禄2年、芭蕉もまたこの地を訪れている」
↓野田の玉川。橋の上流
↓野田の玉川。橋の下流↓野田の玉川。橋の上流
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