2019年11月21日木曜日

★奥の細道紀行 第184章 象潟④「象潟橋・欄干橋」

曾良随行日記』○十六日‥‥昼ニ及テ塩越(象潟)ニ着。‥‥向屋ヲ借リテ宿ス。先、象潟橋迄行而、雨暮気色ヲミル。
十七日‥‥
○十八日 快晴。早朝、橋迄行鳥海山ノ晴嵐ヲ見ル。飯終テ立。アイ風吹テ山海快。暮ニ及テ、酒田ニ着』
象潟橋・欄干橋 芭蕉と曾良は早朝この橋上から象潟と鳥海山の眺望を楽しんだ。
↓「奥の細道・象潟橋(欄干橋) かつて、この橋から眺める九十九島と鳥海山は「象潟八景」の一つと言われていました。最初に橋が架けられたのは慶長8年(1603)のことで、その後の元禄2年(1689)に芭蕉と曾良が「おくのほそ道」の旅でここを訪れています。曾良の旅日記には、象潟についた6月16日(陽暦8月1日)に、先、象潟橋迄行きて、雨暮気色ヲミル‥‥とあり、象潟を去る18日は「快晴、早朝、橋迄行、鳥海山ノ晴嵐ヲ見ル‥‥」とあります」」
↓「らんかんばし」
 ↓橋の上。ここから象潟と鳥海山が眺望できた。山は雲の中。この水路から象潟に潮(海水)が出入りしていた
 〇船つなぎ石 橋のたもとにある。芭蕉と曾良が乗り込んだ象潟遊覧船もこの石に繋がれていたはず。今野嘉兵衛が茶・酒・菓子等を持参してきたのもここだったろう。
↓「左右往還」と刻字
↓「史跡・船つなぎ石 ここ欄干橋(象潟橋)のたもとに立つ道しるべの石柱は、昔象潟川をさかのぼってきた和船が綱をかけて、船を停めるに利用したところから船つなぎ石と愛称されるようになった。かつて象潟の美しい八十八潟九十九島の風景を遊覧する舟は、このあたりの岸から出たのである。芭蕉と曾良の師弟もここからここから舟に乗って島めぐりをした場所である。左右往還と刻まれた石の文字は土地の道案内文字で、昔をしのばせる遺産である」

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