2020年2月12日水曜日

★奥の細道紀行 第266章 小松市本折町「山王神社藤村伊豆宅」(本折日吉神社)

曾良随行日記』 『廿五日 快晴。欲小松立、所衆聞而以北枝留。③立松寺へ移ル。①多田八幡ヘ詣デヽ、②真(実)盛が甲冑・木曾願書ヲ拝。終テ④山王神主藤井(村)伊豆宅へ行。有レ会。 終而此ニ宿。申ノ刻ヨリ雨降リ、夕方止。夜中、折々降ル。』
〇小松の日吉神社に芭蕉が杖を留めたという伝承は、曾良随行日記の上記の記述に由来する。即ち7月25日は快晴で、芭蕉は小松を立たんと欲したが、これを聞いた所衆が北枝を説いて芭蕉を翻意させた。芭蕉は立松寺へ移り、多田八幡へ詣で、実盛が甲冑・木曾願書を拝した。芭蕉の心を動かしたのは、斎藤実盛の甲冑・木曾願書の存在だったろう。終わりて山王神主藤井(藤村の誤記)伊豆宅へ行って句会を催した。それが終わって藤村伊豆宅に泊った。
〇曾良の記したこの「山王神主」というのが日吉神社の神主のことらしい。山王神社=日吉神社というのは一般的なことである。日吉(山王)神社神主は、藤村伊豆・俳号鼓蟾(こせん・蟾はひきがえる)。藤村伊豆宅で催された連句会は芭蕉のしほらしき名や小松ふく萩芒》の初句で始まったそう。
↓ 掲額は「本折日吉神社」
↓ 掲額は「山王宮」
↓奥・芭蕉塚、手前・句碑

「芭蕉翁留杖之地」
↓《しほらしき名や小松吹く萩すすき 芭蕉》
 「露を見しりて影うつす月 鼓蟾」
 「躍(おどり)のおとさびしき秋の数ならん 北枝」

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