〇小松の日吉神社に芭蕉が杖を留めたという伝承は、曾良随行日記の上記の記述に由来する。即ち7月25日は快晴で、芭蕉は小松を立たんと欲したが、これを聞いた所衆が北枝を説いて芭蕉を翻意させた。芭蕉は立松寺へ移り、多田八幡へ詣で、実盛が甲冑・木曾願書を拝した。芭蕉の心を動かしたのは、斎藤実盛の甲冑・木曾願書の存在だったろう。終わりて山王神主藤井(藤村の誤記)伊豆宅へ行って句会を催した。それが終わって藤村伊豆宅に泊った。
〇曾良の記したこの「山王神主」というのが日吉神社の神主のことらしい。山王神社=日吉神社というのは一般的なことである。日吉(山王)神社神主は、藤村伊豆・俳号鼓蟾(こせん・蟾はひきがえる)。藤村伊豆宅で催された連句会は芭蕉の《しほらしき名や小松ふく萩芒》の初句で始まったそう。
↓ 掲額は「本折日吉神社」
↓ 掲額は「山王宮」
↓奥・芭蕉塚、手前・句碑
「芭蕉翁留杖之地」
↓《しほらしき名や小松吹く萩すすき 芭蕉》
「露を見しりて影うつす月 鼓蟾」
「躍(おどり)のおとさびしき秋の数ならん 北枝」
「露を見しりて影うつす月 鼓蟾」
「躍(おどり)のおとさびしき秋の数ならん 北枝」
0 件のコメント:
コメントを投稿