「北条氏邸跡は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。狩野川の東岸にある守山(もりやま)の北西部の小さな谷になっているところです。ここを含めて伊豆北条と呼ばれた一帯(現在の寺家・四日町付近)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて北条氏の本拠地であった場所です。北条氏邸跡は武士の地方での生活を知ることのできる遺跡として極めて重要なのです。1333年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼という女性が中心になって、邸宅の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、上杉氏の一族の女性が尼として入っていたことが分っています。現在の発掘調査では円成寺に関連する池や溝が見つかっています。」
○禿げている場所が、発掘調査中の北条氏邸跡・円成寺跡
「守山中世史跡群の歴史は平安時代の終わりの900年前ごろ北条氏が移り住んだことに始まります。北条氏は屋形の北条氏邸跡、氏寺の願成就院(がんじょうじゅいん)などを整備してこの地域を一族の拠点として整備しました。鎌倉幕府滅亡後には最期の執権北条高時の母、覚海円成に北条氏邸が与えられ、北条氏の子女の保護と元弘の変の死者供養のために円成寺が開かれました。室町時代にはこのちが伊豆国の中心地であったため、鎌倉に入ることが出来なかった堀越公方がこの地に御所を構えました。北条早雲により堀越御所が攻められ、政治的な中心は市内の韮山地区に引き継がれます。平安時代末から室町時代まで300年余りの間、守山周辺のこの地域は北条氏の拠点として、伊豆地域の中心として機能しました」
守山西の平坦部が北条氏邸跡
公園向かいを流れる狩野川
トタン囲いの部分は発掘調査中の場所
発掘調査中の場所を覗いて見た
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