2011年4月24日日曜日
4/24(日)、睡眠不足で湖東をウロウロと。竹生島・宝厳寺&都久夫須磨神社、大通寺、観音正寺、石馬寺
朝七時にお目覚め。南条SAの食堂で鯖定食を朝食に。北陸道を走っているうちに今日の日程が立った。先ず北陸道を長浜で下りて、長浜港から竹生島に渡る。竹生島は再訪になるがもう一度写真を撮り直す。最近になって竹生島「宝厳寺(ほうごんじ)」が西国33所第30番札所霊場であることを知ったので。10:15発の船に乗った。島到着10:45。迎えが来るまでの80分間が滞在時間。観音堂にくっついている唐門は国宝、豊臣秀頼が伏見桃山城から移築したという。本堂・弁天堂の本尊・弁財天も、観音堂の本尊・千手千眼観音も秘仏で、それも33年に一度しか開帳されないそうで面白くない。余命幾ばくもない吾輩には拝顔の機会は与えられない。眼で見ることを悲願とする吾輩には無縁の仏像達。狭い島内でくっつき合って共存混淆している「都久夫須磨神社」(ツクブスマ、ちくぶしまのことだろう)の本殿も国宝。観音堂と神社本殿は重要文化財「船廊下」で繋がっているんだが、この廊下、寺院のものとも神社のものとも判別がつかない。多分両者の間でも所有権の帰属が曖昧だろう。島出発12:05、長浜港帰還12:35。それから「大通寺(だいつうじ)」にも再訪。真宗大谷派・東本願寺の長浜別院で長浜市街地北方に立派な門前町を形成している。近時黒壁の街並として観光業界に売り出している一角も近い。それから安土町の「観音正寺(かんのんしょうじ)」に脚を延ばした。ここまでは朝決めた日程通り。この寺も西国33所霊場の一つ、第32番札所。火災で本堂と本尊を失ったが、最近本堂の落慶法要が営まれた。インド産の白檀の木で新作された千手千眼観音像は巨大。ここは戦国時代、佐々木源氏の観音寺城があった山頂だが、城砦を築くにはちょっと高山過ぎて実用実務に不向きかも。観音寺山を下山したらもう五時だったが行きがけの駄賃に山麓近くの「石馬寺(いしばでら)」を探訪。聖徳太子の建立伝承があるそう。古代風の勾配と段差のきつい石段を山中深く踏み入るとやがて石段が三方向に分岐する所に出る。石馬寺の参詣石段は右に折れて昇り、左に折れた道は六所神社に通じ、そして中央の石段はどこまでも登って行って雨宮龍神社に至る。神仏が混淆し自然に共存している古代中世的な世界が自然のままに現代に残っている。明朝の藤井寺市「道明寺」探訪に備えて今春三度道の駅「大和路へぐり」を目指して出発したが、考えてみたら今日は2時間しか睡眠時間を取っていないので無理をせず名神道「菩提寺PA」に入り込んだ。今夜はここで泊まる。栗東ICと竜王ICの間。
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