観心寺発行A4版写真より引用。この如意輪観音像の美しさには驚かされる。国宝第五号だそう。毎年四月一七、一八日に開帳される。一度はお目に懸からねば。
2011年7月31日日曜日
7/28(木)眼科の玄関先に南洋の花が咲いている。
7/31(日)大阪府河内長野市まで足を延ばした。千早赤坂「観心寺」。奈良市「十輪院」
今朝の起床は午前五時半。出発は六時半。生駒山地(信貴山の麓)を越えて大阪府に入り、柏原・羽曳野・富田林・河内長野と南下して千早赤坂の山中に入った。そこに「観心寺」がある。八時前に着いた。門番がいないので拝観料300円を箱に入れて入山。金に齷齪していない雰囲気がそこはかとなく漂っていて好感。ここには国宝・本堂に国宝・如意輪観音像が秘仏として収まっているが(毎年四月十七、八日に開帳されるというからお目に懸かれる可能性はある)、その他に重文級の仏像が両手で数えねばならぬほどある。それが「霊宝館」に収蔵展示されているが、無料なんだそう。霊宝館に入るのは最後の楽しみに取っておいたが、ここも開扉されているのに番人がおらず好きなように堪能できた。御満悦。この寺は単なる田舎寺ではない。後村上天皇陵が裏山にあり、楠正成の首塚もある。南朝と深い縁がある。大寺。国宝・本堂をはじめ境内一円に散開する諸堂宇は見応えがする。気分好く満足して観心寺を後にしたのが午前十時過ぎ。元来た道を辿って奈良市内の「十輪院」へ。元興寺の近く。ここは本堂が国宝。到着が十一時過ぎ。この寺も金に執着していない雰囲気。駐車場は無料。山門を潜り本堂前に立っても無料。広くない境内を一巡しても無料。料金を徴収するシステムがない。国宝・本堂は大きくない。また屋根は低いこしらえで仏閣というより住宅風。ここも気分好く後にして、家路に就いたのが午後十二時半頃か。帰路睡魔に襲われたので名神・秦荘PAに初めて入った、そして寝た。昼寝した後は運転が順調で七尾の自宅到着が午後六時十五分。
2011年7月30日土曜日
7/30(土) 知らなかった国宝探訪へ。大笹原神社、海龍王寺、霊山寺、長弓寺
吾輩は午後五時半に奈良県の道の駅「大和路へぐり」に着いた。「へぐり」は平群。古代豪族が蹯踞した所。この道の駅、吾輩の定宿化している。斑鳩・法隆寺に近い。道中午後四時頃雷入りのもの凄い土砂降りに見舞われて絶望しもう家に帰ろうかと思ったけど、今はケロッと止んでいる。低気圧と前線は去ったらしい。七尾発は今朝の四時。福井辺りで睡魔が寄って来たので、北鯖江PAで寝たら八時40分になっていた。2時間以上眠った。京都・奈良の国宝級文化財の建造物・彫刻はあらかた見学してしまったので、今回は予定を立てて臨んだ。知らない、あるいは見落としている国宝に絞って探訪することに。いずれ全国の国宝の建造物・彫刻(主に仏像)は全部探訪することになる。今日探訪した国宝建造物。①滋賀県野洲市大篠原の「大笹原神社・本殿」。旧郷社級の神社で本殿は小さいが、造形が見事で装飾性にも富んでいる。京都北山の金閣寺とほぼ同時期に建立された。②奈良県法華寺北町の「海龍王寺・五重塔小塔」。法華寺・国分総尼寺の隅寺(すみでら)とも言われた。国宝小塔は元興寺の国宝・五重塔小塔と同様のものと思えばよい。要するに模型。本堂は重要文化財。仏像も優れている。建造物・仏像共に秋篠寺級。③奈良県中町の「霊山寺・本堂」。霊山寺は商魂がある。非難して言う訳ではない。弁財天堂の真裏に「白金堂」と「黄金堂」が並立しているのには驚かされる。それと、国宝・本堂とその中の仏像の古さの対比が極端過ぎて戸惑わされる。絶妙で面白いかも。奥の院まで1kmとあったのでそちらは遠慮した。どうせ坂を登らされる。④奈良県生駒市の「長弓寺(ちょうきゅうじ)・本堂」。この寺は現代的には風変わり。四つの塔頭寺院(法華院、円生院等)が力を併せて国宝・長弓寺本堂を守り維持している。長弓寺自体の庫裏・寺務所は無い。ここの本堂は美しい。本堂を後にした途端、雨に降られた。明日の予定候補寺社も一応七尾で並べてみたんだが、馴染みのない社寺名が殆どなので頭の中が朦朧としている。ボケて記憶力が劣化したのも影響している。河内長野市の「観心寺」から始めようと思っていたんだがどうなることか。