「流浪の画家」の隆くん
2011年7月15日金曜日
5/2(月)江田島「旧海軍兵学校」は見事に生き残っていた(1)
呉から倉橋島に渡り、さらに音戸瀬戸を渡ると江田島。↓瀬戸に架かる音戸大橋。
江田島の旧海軍兵学校に到着。最終受付時刻は午後3時。吾輩は10分遅れで到着。入れて下さいッと言ってみたら入れてくれた。軍営なのに割と融通が利く。「石川」ナンバーに同情してくれたか。
「江田島クラブ」。本来は受付・守衛屯所を通ったら、ここで集合することになる。が、吾輩は遅れていたので素通りして皆を探した。
↓「一術校」庁舎
大講堂。大正時代の建造。
大講堂の前が広大な芝生になっていて、その先が海、広島湾に通じる。この海に面した海岸が、旧海軍兵学校時代の学校正門だったし、それは今も変わりない。
海岸にカッターが並べられている。海軍兵学校卒業生は卒業式を終えるとそのままこの海岸に勢揃いしカッターに乗り込んで、沖合に停泊している練習艦に乗り込んで遠洋航海に出たという。今もこの伝統はそのまま維持されている。
正門に当たる海岸に戦艦陸奥の主砲が据え付けられている。戦艦陸奥は太平洋戦争中、広島湾で原因不明の大爆発を起こして轟沈した。
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