「流浪の画家」の隆くん
2011年7月15日金曜日
5/2(月)江田島「旧海軍兵学校」(2)
旧海軍兵学校。現在「海上自衛隊・幹部候補生学校」。校舎は全長120数mある。戦艦大和の全長は、この校舎の2倍あった。240数mもあった。その巨大さが分かる。
校章は今も昔も「桜に錨」。
明治時代に建てられた。使用されているタイルは、当時最高級の焼き締めタイルを欧州から輸入した。耐震性能も十分。
この校舎、中央廊下で端から端まで見通せる。
学生館。昭和時代の建設。耐震構造に問題があり、補強工事がなされた。明治時代の海軍兵学校校舎・大正時代の大講堂はビクともしないのに。
4階部分が付け足されている。
海軍兵学校には電信柱をはじめ地上に目障りになるものは一切ない。設計思想が「スマートであれ」だった。「スマートであれ」は、日本海軍の明治以来の伝統だった。日本陸軍とは別の国の軍隊の様に思想が違った。↓海軍博物館
展示物は一切撮影禁止。館内は、戦死者の魂が宿っている。
戦艦大和の主砲砲弾
呉の市街地は空襲で完膚なきまでに焼かれた。広島市街地には原子爆弾が投下された。その間にあり日本海軍の中枢をなした江田島・海軍兵学校は不思議と無傷で終戦を迎えた。と、終戦後直ちに進駐軍が江田島・海軍兵学校を接収し駐留軍司令部にした。米軍はかくもちゃっかりし、賢かった。
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