今日も一日雨。ただ小雨模様で土砂降りにならなかったのが幸いか。予定通り長野県の国宝全五件のうち残り三件を見て回った。もっとも家族旅行で訪問したものばかり。午前八時「梓川SA」を出発。豊科ICで降りて池田町(今は大町市か?)の「仁科神明宮」へ。中門・廊下・本殿が国宝。室町時代から江戸時代にかけての修復工事棟札が27枚も残されていて、古式を残す建物であることを立証。金属製「懸け仏」も十数面残されている。大日如来像ばかり。神仏習合の聖地だったことは明らか。棟札の全部と懸け仏のうち五面が重文に指定されている。村にとっては御先祖様が残してくれた宝の山。以前家族と訪れた時とは国宝神殿周辺の面目が一新されていた。道が整備され、立派な社務所が建てられて常駐吏員がいる。鉄骨造の宝物庫も二棟ある。前の印象は在郷の鄙びた小社だったが、今は違った印象。小なりと雖もさすがやはり国宝神社という感じ。遠来の参拝・拝観者も途切れることなくやって来る。最後の点が以前との一番の違いか。それから松本市に戻り「国宝・松本城天守閣」を拝観。天守閣に登る人が多過ぎて天守閣内は入場制限、90分待ちという触れが出たので直ぐ諦めて本丸内外を歩き回って写真を撮っただけで立ち去った。国宝探訪の旅人気取りの吾輩としてはそれで十分。その代わり近所の「開智学校・重文」を探訪。明治時代の松本の小学校。それがハイカラで素晴らしい(尤も教室棟は既に消滅し、残っているのは校長室・講堂等の管理棟)。この学校、町民や卒業生の誇りだったに違いない。だからこそ場所を移転してまで残された。 それから長野市「善光寺」へ足を延ばした。善光寺はあの壮大な本堂が国宝。今日は雨模様にかかわらず境内は賑わっていた。信心ある人が多いもの。吾輩はとにかく国宝・本堂の写真を撮りまくった。ここまで来たら久し振りに妙高高原池の平の定宿シェーネで泊まることに。五時過ぎにペンションに到着。パパさん曰く「本当にお久し振りですねぇ」。ママさん曰く「病気になられたかと心配してましたぁ」。 今春のGWは九州方面に足を延ばし旅行に明け暮れていて妙高で絵を描くどころでなかった。今夏の旅行は、長野県上田市の国宝三重塔探訪で幕を開け、東北地方の海岸線を一周して来て、最後に長野市・善光寺訪問で幕を下ろした。天気には恵まれたとは言えないが、まずまずの成果があった旅行。あと何回このような流浪の旅をやれるかが吾輩にとっては問題。直感ではあと五回。最後には絵を描かねば。風景画と人物(女性)画と仏像画と静物画。さっきシェーネでひと風呂浴びた。明日は家に帰る。
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