「西宮名塩SA」で目覚めた、まだ夜が明けたばかり。さて今日の行き先についてだが、日本海側は雨必至と聞いていたので丹後半島行きにつき迷ったが、地図を検討して思ったのは、今更四国の南(天気が好さそう)に行くのは遠過ぎる、行って帰るだけで二日を要する、もうとても許されることではない。それに現在、丹後半島と四国の中間に位置するこのSAの空模様は好い。そろそろ絵を描かねばとの思いが強かったので丹後半島行きを決断。しかし吉川JCTで舞鶴若狭自動車道に入って北上し丹波の山に入ったら段々空模様が怪しくなって雨が降り出し、進むにつれて雨脚が強くなった。よっぽど行き先を丹波探訪にでも切り替えようかと思ったが、結局丹後半島行きの進路を変えなかった。舞鶴若狭道の綾部JCTで京都宮津縦貫道に乗り換え、宮津からいつも通った与謝野町ルートに行かず、丹後半島の中央を走り、京丹後市(峰山・網野)を通って北端の真ん中に出た。雨が降ったり止んだりして風波が強い、寒い、空気(光)も暗く重い、海は濁った色で荒々しい、とても絵を描く日ではない。それで今日は絵を描かず、この地方を知ることと・絵になる構図を探すことにした。「丹後松島」「屏風岩」など、9月の山陰旅行のときの探索で僕が絵になる構図と目星を付けた風景がこの辺りに集中している。今日の宿泊地は、目星近くの道の駅「てんきてんき丹後」に決めた。明朝はここを出撃拠点にする。この道の駅が気に入ったのは、試しにパソコン・メールを飛ばしてみたら一発で接続したこともある。「琴引浜」。鳴き砂の浜、琴弾き浜の意味だろう。風景が暗く荒々しい。
後(のち)ヶ浜。間人(たいざ)という漁村にある。
延喜式には「大社」として載っているそう。
神門は、唐門風。
「神明山古墳」。全長180mを越える前方後円墳。丹後の国で二番目の規模だそう。
後円部の頂上の石碑。
前方部分。
「丹後・古代の里資料館」の横に、竪穴住居村がある。
中に入ったら、人がいてビックリ。よく見たら人形だったが、暗がりなので初めは人形だとは分らない。
「丹後・古代の里資料館」
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