2009年12月5日土曜日

金剛輪寺の紅葉

永源寺を後にして「金剛輪寺」に向かった。小雨が降り続く中。金剛輪寺は、八日市と彦根の中間にある。湖東三山の真ん中の寺。織田信長が比叡山延暦寺(天台宗)を焼打ちしたとき、湖東三山(いずれも天台宗)も焼打ちの目に遭った。百済寺(ひゃくさいじ)は丸焼けになったが、金剛輪寺は本堂(国宝)が火難を免れた(西明寺は本堂・三重塔(国宝)が焼失を免れた)。金剛輪寺の御本尊は聖観音。


































参道の紅葉










































































名勝庭園






























































































































































































桜の花が咲いている

























































































































































千体地蔵。湖東三山はいずれも鈴鹿山地の斜面にありその境内寺領が広大で本堂までは長い長い上りの参道を山頂近くまで登らねばならないんだが、金剛輪寺の参道は特徴があって本堂の山門前まで、子地蔵が延々と両側に並んでいる。その数は万に近いんじゃないか。どの子地蔵もみんな綺麗な涎懸けを着けて貰って、風車(かざぐるま)を供えられていて可愛い。大変な世話が行き届いている、何でも前掛は信徒の人達が年三回懸け替えるそう。すっかり日が暮れた下り道で僕はハッと想い出した、長女の次に生まれる筈だった双子の子が九ヶ月の胎児で死んだことを、賽の河原の石積みの様になっている所でその石積みを見て漸く気が付いた。僕は付近に転がっている小石を一つ、積まれた石の頂上に載せて手を合わせた。そして父親に忘れられた不憫な子らのことを思った。金剛輪寺は不運な子らを供養する寺なんだろうか。それから双子の子らが生きて世にあったときのことを想像しながら山を下りた、二女・三女と彼女らが今あるような姿で巡り会っていたろうか。























































































山門に到着

















本堂は、信長の焼討に遭った時に難を免れた。国宝。






















































































三重塔。もう夕闇が深くてシルエットにしか映らない。







































三重塔の中に祀られた大日如来像






















宵闇が下りた雨の中、山裾の国道を彦根に向かい、彦根ICから名神高速道に入って信州を目指した、妻から明日信州は晴れるとの情報が入っていたので。入ると忽ち渋滞に突っ込み、米原JCTで名古屋方面に入ったら益々酷く先が思い遣られる事態に。すっかり嫌気が差したら疲れたので、最初に辿り着いたPA、伊吹PAに入り込んで寝た。あしたは明日の風が吹く、という心境\(+_+)

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