一日中雨。午後からひどくなる。今日は13番「大日寺」から始めたが、吉野川北岸の寺々と比べて南岸の寺には面白みに欠けるものが目に付いた。予定では阿波国に23ある霊場全部を廻り切るつもりだったが、遺憾ながら21番までの探訪で終わった。その最後の20番「鶴林寺」、21番「太龍寺」で一気に凄味が出た。奥山深くの山上に奇跡的に大伽藍が建ち並んでいる。しかも雨が霧を喚んで、写真には全然不向きな気象だが、目には幽玄の気が見えて幻想的だった。特に21番「太龍寺」は、空海・24歳時の著作「三教指帰(さんごうしいき)」の中に「自分は19歳の時、阿波の国の太龍嶽に登って、虚空蔵求聞持法を修し‥」と記して太龍嶽での修行が大師の生涯を画する重要なものだったことを述べている。大師の超重要な聖蹟に立地して現代まで維持されているのが太龍寺。空海が艱難辛苦の修行をした山だから簡単気楽に登れるはずがない。車で登ろうなどとはとんでもない。寺に参詣する人達は麓からロープウェイに乗って登って来るということを知ったのは今日。ボクは敢えてセレナに鞭打って登ることにした。今日中に「太龍寺」をこの目で見なければ、ボクは切腹ものなのだ。古いカーナビは登山ルートを探せない。何度も誤導ルートを示してボクをあちこちの山村を引き摺り回した。ボクはカーナビを絶対信じないことにして現地の案内標示だけを頼りにしてようやく辿り着いた道は‥入っとからして幅が車一台分しかない。蛮勇を奮って進む道は何処まで行っても一車線ぎりぎりしかない。それも未整備。切り返さなければ絶対曲がれないカーブもある。運転初心者は心臓を悪くして死ぬ‥かも。そのうえ小広場で車を乗り捨てさせられてから1200mも登り道を歩かされる。いやはや物凄い山岳寺院だった。が、山上には大伽藍が待っていてくれた。それが何より。しかし濃霧に閉ざされて写真には多分何も写っていない。幻想の世界をボクは見てきたのだろう。結局22番「平等寺」と23番「薬王寺」は明午前中の仕事になった。今夜の泊まりは「道の駅・日和佐」。薬王寺の真ん前にある。平等寺まで探訪しておければお誂え向きだったんだが、仕方がない、明日は一旦戻る旅程になる。この道の駅はデカイ、雰囲気も明るい、電波の調子も良い、向かいにコンビニもある。ボクは知っていてここに来た。前の四国旅行でここで泊まったことがあるのだ。あの時は深夜に低気圧が通過して突風が吹き雷雨にやられた。夏で窓を開けて寝ていたので、セレナが揺れるので目覚めた時はもう車内がずぶ濡れだった。
明日午前中に阿波国の霊場巡りを完遂した後の旅程はまだ決まっていない。土佐国に入ってからの霊場巡りは、高知市内までの分は探訪済み。それにしてもつくづく・しんみりと思わされたんだが、昔のお遍路さんは死ぬ覚悟で旅に出たのだ。そして死ぬほど辛い思いをしながら歩き続けた。中に旅の途中で倒れ路傍で息絶えた人も数え切れないほどいただろう。行き倒れて身許不明で終わった人の供養碑が古びて所々に残されている。また、お遍路さんを見る地元の人達の目が優しいことにも気付かされる。時々遍路姿でとぼとぼと道行く人を見かけるがちっとも変でない、違和感がない。昔ながらの遍路道(行政が「四国みち」と呼ぼうと呼びかけている)に木造の新・休憩所が作られていたり、お茶の接待の案内が出されていたりする。
2012年12月28日金曜日
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