2013年6月25日火曜日

〇5/2(木) 栃木県真岡市二宮・浄土真宗高田派元本山「本寺・専修寺(せんじゅじ)」

〇親鸞が京都で師の法然と共に法難に遭い・越後に流されてから五年、漸く許されて布教のため関東に入って拠点としたのが、ここ真岡市の高田山・専修寺だった。親鸞が京都に戻った後、この寺の門徒の代表が教義上の疑義を問うため京都に上って来た。その門徒代表が親鸞の答えを手控えたモノが「嘆異抄」。この寺は浄土真宗高田派の本山だったが、その後本山が三重県津市に移されたため、この寺は「本寺・専修寺」と称されることになった。この寺を訪れた時は、もう暮色が迫り閉門されていた。閉門と言っても総門の両脇の出入口に戸がないので自由に出入りできた。暮れようとする時刻だから人っ子一人いない。寂しさと暮色の哀感と相俟ってそう見えたのかも知れないが、この寺は普通の浄土真宗寺院と全く違った風情・佇まいに見えた。静謐で端正瀟洒で清潔。浄土真宗・本山と言えば、豪壮巨大な御影堂と阿弥陀堂が甍を並べて参拝者を圧倒するモノと相場が決まっているが、この寺はそういう伽藍配置になっていない。真宗大寺院は一向一揆の拠点ともなる要塞で、伽藍の屋根は火矢が立たないように瓦葺のモノが多いんだが、この寺の堂宇は茅葺屋根が目立ち、それがしっとりとした感じを出している。
右「高田山・専修寺」、左「真宗根本道場」
 「史蹟・専修寺境内」

↓「史跡専修寺境内 親鸞は1207年法難に遭って越後国に配流されたが、5年の後罪を許されて関東に入り常陸国稲田に滞在、布教の為この地に巡錫されたとき大内氏一族の懇請によって一宇が作られたのが専修寺の始まりと伝えられている。信州善光寺感得の一光三尊仏を本尊とし、後二代さらに三代に受け継がれ東国における初期真宗教団の根本道場として隆盛を見るに至った。1465年十代真慧は伊勢一身田(いちみだ)に専修寺を造り本山としたので以来この土地は下野国旧本山と称されるようになった。‥‥」
 総門が見える。
 大ケヤキ
 総門・重要文化財。両脇に戸がない。
 総門を潜ると、楼門・如来堂が一直線に並んでいる。これは楼門。
 楼門・重要文化財
 逆方向から見た楼門。総門が左に見える。


 楼門を潜ると如来堂が見える。
 如来堂・重要文化財


如来堂の本尊は、信州善光寺の本尊感得の一光三尊仏だそう。秘仏。



 境内案内図
 この堂の記憶がない。宝庫だったろうか。
 楼門から本堂方面を見る。中央に本堂、右手前に鼓楼・左手前に鐘楼。
 鼓楼
 鐘楼
 中央・庫裡書院に入る茅葺門、その右に鼓楼。
 茅葺門
 門の後ろに・庫裡書院の茅葺大屋根が見える。
 鐘楼と本堂の間にある太子堂。


 御影堂・重要文化財。親鸞上人の御影が本尊。御影堂と阿弥陀堂が甍を並べていない。阿弥陀堂に相当するモノが如来堂らしい。






 庫裡書院の門と鼓楼


 御影堂境内
 暮色が下りてきた。左から鐘楼、御影堂、鼓楼。
 庫裡。屋根は茅葺。

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