2015年6月15日月曜日

〇《奥の細道》紀行・出羽路(11) 天童から大石田へ。「最上川三大難所」

〇ここは、最上川中流にある「碁点」乗船場。有名な最上川三大難所「碁点(ごてん)」「三ヶ瀬」(みかせ)「隼・早房(はやぶさ)」の始まりの地。
 ↓真ん中やや左下に、芭蕉と曾良の二人連れが描かれていて面白い。芭蕉は、天童・立石寺から大石田の船役所までは馬に乗って行って、三大難所の船旅はしていない。しかし、《奥の細道》を読むと、芭蕉は最上川三大難所巡りをしたかのように見える。芭蕉の文学的創作(虚構)。お蔭で新庄が割を食って《奥の細道》の文章から抹殺される悲運にあったことは前回述べた。
↓「最上川三難所 最上川は山形県と福島県の県境にそびえる西吾妻山を水源とし、日本海に注ぐ河川です。富士川、球磨川とともに日本三大急流と言われています。江戸時代、最上川は経済や文化の大動脈として発展し、江戸や京、大阪との交流が盛んに行われました。しかし、村山市にある最上画を三難所は川が浅く、船が通ることが難しい場所で、数多くの船が難破した場所でした。松尾芭蕉は《奥の細道》で「碁点、隼、三ヶ瀬というおそろしき難所あり」と記したほど。最上義光は天正8年(1580)、この三難所を開削し、最上川の舟運文化の発展に大きく寄与したのです。」
 ↓碁点。昔は碁石を敷き詰めたように岩が突起していた。水運の利便を図るため邪魔な岩を除去したらしい。
 ↓三ヶ瀬。川底に細い岩礁が三層をなして並んでいて、水量不足の時は通れなかった。今は川床を掘削して水路が確保されているらしい。
 ↓隼・早房。ここは川底全体を岩礁が覆い浅くなっていて急流になっている。
 ↓「日本三急流 最上川三難所」
 ↓上の石碑から眺めた「碁点」の風景。船着き場がある。ここから三大難所巡りの遊覧船が発着する。客はほとんどいない。
 ↓最上川・三ヶ瀬

 ↓大淀。真下慶治美術館テラスからの眺め。隼・早房はこの下流少しの所にある(右側が下流)。
〇冒頭絵図の左側、最上川が大きく屈曲しているが、その胃袋が垂れ下がったような屈曲部分に大淀という村がある。絶景の地で、そこの岡の上に「真下慶治美術館」がある。ボクはここに三度ほど訪れた。真下慶治は、生涯最上川一筋に絵を描いた。この画家の絵葉書を今回の旅行で買い占めてきた。最上川三大難所を紹介するのに丁度この画家の絵が重宝すると思ったから。

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